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すまいる日記



出会い

 先日、ひとつの出会いがあった。
 それはとても有意義なものであった。

 人が生涯に出会う人の数はどのくらいになるのだろう。

 皆さんは、こんなことを考えた事ありますか。

 ボクは色々なことを考えます。
 友はボクを「変わった人間」と言いますが、ボクにすれば、友も随分変わっています。

 お互い変わり者同士という訳です。

 たくさんの人に出会いながら、素通りしてしまう数のなんと多いことでしょう。
すべての人と何らかのかかわりも持つ努力をすれば、自身にどのくらいの成長が見込まれるのでしょう。

 ボクの器は、決して大きくはありませんので、無理な話ではあるのですが・・・

 でも、他人の人生に触れて、それで気づかされることってたくさんあります。

 そんな時、「人間ってやっぱり素敵だな」と思います。

 皆さんも、良い出会いを。


2010年3月17日 17:34


携帯電話

 皆さんは、どのくらい携帯電話を使用していますか。
 どんな機能を利用していますか。


 私にとってスケデュール管理には欠かせない存在になっています。
 手帳と2重にチェックするようにしています。


 便利になることはとても素敵なことです。
 しかし、便利になることは、ある意味において大切なものを失っている部分があることに気づきませんか。


 J.S.ミルという哲学者がこんなことを言っていました。
 「人間は、合理的に、合理的に生きようとしている。しかし、本当に合理化された社会では人間は生きていいけないのだ。」

 ボクは思わず納得したことばでした。
 皆さんは、如何ですか。


2010年3月15日 21:14



 先日、お客様のお宅にお邪魔した時のこと。

 近くに3本の木に花が満開に咲いているので、「あれは梅ですか」と尋ねると「枝垂れ梅ですよ」と教えて頂いた。
 もう梅も満開に咲いているのに、今日は粉雪が舞った。
 中予地域では今夜から豪雪もあるそうである。

 春と思っていたらところに思わぬ雪に驚いた。


 雪は見る分には風情があり、神秘的でもあり、ボクはとても好きである。

 しかし、実生活においては問題も多くなる。
特に交通には不便を余儀なくされる。


 「自然と仲良く」とはなかなかいかないものである。

 もしも、人間が降雪を自由に操作できるようになったら良くなるだろうか。

 いやいやそんなことはないだろう。

 自由に操作できるようになったら、風情をなくなるだろう。

 うまくいかない。
 自由にならない。

 そんな中に楽しさや嬉しさ、喜びが隠れているのかもしれない。


2010年3月10日 16:55


卒業

 卒業式のシーズンです。
 会社関係でも、歓送会が行われています。


 人生、様々な卒業があります。
 学業における卒業は誰もが経験するものですが、それ以外の卒業と言えば、なかなか思いつきにくいものですよね。
 
 何から卒業するのか。

 その卒業を認めてくれる人が誰なのか。

 その卒業に、どんな意味があるのか。


 こんなことを考えるボクを、友は「変わっている」と言います。

 でも、こんな変わった人間も世の中には必要だと思っているボクでした。


2010年3月 8日 19:48



 春3月です。

 皆さんは、四季の中でいつが最も好きですか。

 ボクもよく聞かれますが、ボクもよく聞きます。

 ボクの周りでは、「春」と答える人がとても多い。

 ボクは、よく変わり者だと言われます。
 そんなボクが選ぶのは、寒さにとても弱いくせに「冬」です。
凍てつく寒さの中、凛として輝いている星空がとても好きなんです。

 そして、次に「春営み」の頃です。


 こんな風に思うのも、四季の巡りがある日本の気候とその気候に育まれた文化があってこそですよね。

 ご飯とみそ汁と漬物を味わいながら、日本人で良かったなあと思うのはボクだけでしょうか。


2010年3月 5日 20:02


3か月

 この日記を始めて、3か月も更新をお休みしてしまった。

 
 人間生きていると、何らかの周期の存在に気づくことがある。
 バイオリズムであったり、季節の移り変わりであったり・・・

 漢方の古典に、季節による過ごし方が説かれている。
 その過ごし方を守らなかったら、次の季節の到来とともに病に侵され始める。

 人間、自然を離れては生きられない。

 偉そうなことをいくら言っても、貴賤の差など関係なく、皆に共通のものである。


 「この世の中、金で買えないものはない」と豪語したものがいた。
 彼は今も本当にそう思っているのだろうか。

 確かにお金は大切であり、お金がなくては生活が成り立たないのは言うまでもない。

 しかし、である。
 お金を積めば、若返ることができるだろうか。
 不老不死が手に入るだろうか。

 お金で繋がった関係は、お金がなくなるとともに、その関係も消え去っていく。


 お金で健康は買えない。

 でも、健康のためにお金を上手に使うことは大切である。


2010年3月 1日 19:37


たばこ

 禁煙運動が盛んになり、喫煙家にとってとても肩身のせまい世の中になったようですね。

 知人の女性が、言っていました。
 「今度1箱500円位になるそうだから、そうなったらやめようと思う。」

 経済的に大変になるそうです。


 気持ちはよく分かります。

 でも、経済的な問題以前に、体の事を考えて欲しいと思っているボクです。
 科学的にも、医学的にも、健康によくないことは明らかになっています。

 でも、でも、愛煙家は何らかの理由をつけて吸い続けます。

 ボクも気持ちは分るんです。
 よーく、分るんです。


 今は保険適用で、禁煙治療が受けられます。
 近くの医師の相談してみてください。

 ぜひぜひ、禁煙の努力をしてみようじゃありませんか。


 将来、博物館に「煙を吐く動物」というタイトルがついて、人間が標本になっているかもしれません。

 


2009年11月26日 20:19


お酒

 最近、お酒を呑む機会が随分少なくなりました。

 サラリーマン時代は、同じ職場、仲良しグループなどなど・・・
そんな機会が随分多くありましたが・・・

 サラリーマンを辞めてからは、取引相手の食事会だとか、仕事がらみの機会しかなくて・・・

 友人との機会も、あいている時間の調整がつかず、なかなか一緒に呑む機会を作れません。


 お酒を一緒に呑むというのは、付き合いがグッと深まるし、何かと色々話せる雰囲気もあるし・・・

 ボクはお酒が好きなので、おいしい思いもできるので幸せなひとときになります。

 皆さんは如何ですか。
 どういう時にお酒を呑みたいと思いますか。
 誰と呑みたいと思いますか。
 どんなお酒を飲みたいですか。


 ボクは「おたこ」飲みを推奨しています。

 「おいしく」「たのしく」「こだわって」
この頭文字を取って「おたこ」飲みという訳です。

 特に、自分なりのこだわりも持って飲むことが大切です。

 他人がどう言おうが関係ありません。
但し、一緒に呑んでいる人の呑み方やこだわりを参考にすることはとても役立ちます。

 これから年末年始にかけて、呑む機会が増えるでしょう。

 皆さんも、「おたこ」呑みで幸せなひとときをお過ごしください。


2009年11月16日 11:04


殺人事件

 最近、女性による殺人事件が2件報道されていますよね。
 どちらも複数の男性を殺害した事件です。


 仏教を説いた釈尊の元を尋ねた鬼子母神の説話があります。

 鬼子母には1000人の子がいた。
 鬼子母は人の子を食べて生活していた。
 その行いを憂えた釈尊は、鬼子母の末子を隠してしまう。
 我が子が行方不明になり、気も狂わんばかりに苦しみ悩んだ末、釈尊の元を訪ねて、我が子の行方を尋ねる。
 釈尊は、1000人も子がいる鬼子母さえ、そのように苦しむのだから、子が1人や2人の人が我が子を失うことがどれほどの苦しみであるか諭していく。
 鬼子母は自分の犯した罪を反省し、以後行いを改め、法華経を行じるものを守護することを誓う。


 ボクは、思わずこの説話を思い出していました。
 事件を起こした彼女たちは、他人を騙したり、利用したりして、本当に幸せになれると思っているのでしょうか。

 とても哀れに思われて仕方がありません。


 ブラジルのことわざに次のようなものがあります。
 「最も幸福な人とは、最も多くの人に幸福をもたらす人」

 胸に響くことばでした。


2009年11月 9日 11:14


インフルエンザ

 全国インフルエンザの対策で緊張が続いています。

 インフルエンザのウィルスも生き残りをかけて頑張っているのでしょう。

 人間の持つ力、生命力がインフルエンザに勝つことができるか。
これが勝負の分かれ道です。


 医学は随分発達しました。
 しかし、医学の父と言われるヒポクラテスが活躍した頃と比べ、2400年位経た現在をみても根本的には何も進歩していないと言いきれます。

 なぜなら、病んだ人の生命力に頼らざるを得ないのが医療の限界だからです。

 言いかえれば、生命力を豊かにすれば、奇跡とも思える回復力を発揮することも可能であると考えられます。

 皆さん、生命力豊かに、今日も、これからも生きていきましょう。


2009年11月 6日 13:03


年賀状

 皆さんは、年賀状を出しますか。
 何枚くらい書きますか。
 手書きですが。それとも印刷ですか。

 
 時代の移り変わりとともに年賀状の様子も随分変わったと感じます。

 昔、ボクが受け取る年賀状で印刷されたものは「どこかの会社からのもの」もしくは「お店からのもの」に限られていました。

 今は友人からのものもほとんどが印刷です。
 仲の良い人からのものには、そこにコメントが添え書きされています。

 差出人の様子を感じるのに、手書きはとても良いです。

 文字の上手下手は関係ないのです。
 ボクも字は下手です。
 でも、ボクの様子を感じてもらいたいために、少なくても表の宛先と宛名は必ず手書きにしています。

 パソコンで年賀状を書くようになって、随分負担が減りました。
 でも、便利さに慣れて、人間同士の交流を減らしたくないために「新年の抱負」なり「相手との交流の感想」をできるだけ添えるようにしています。


 最近、年賀状を書かずに、メールで送る人が増えていると聞きます。
 確かに手軽で便利だと思いますが・・・・

 果たしてそれで良いのでしょうか。

 「気楽に、気軽にできる」ということは、相手の存在が「軽い」ことに繋がりはしないでしょうか。


2009年11月 2日 11:20


チャレンジ?

 前回は「チャレンジド」というテーマでした。

 「チャレンジ」ということばをよく使います。
 「さあ、頑張ろう」と自分を励ます時か、
 「まず、始めてみようよ」と相手を激励する時によく使いませんか。

 挑戦する意欲は一体どこから湧いてくるのでしょう。
 皆さんは考えた事ありませんか。


 人間は、生後「挑戦の日々」を送ります。
 泣くことも、手足を動かすことも、
 そして、首を動かし、寝がえりをうち、
 それから、四つ這いになり、立ち上がり、
 更に、歩き、走り、
 様々なことを学び・・・

 本当にすべてが挑戦です。


 それは、誰かから言われたことでも、命令されたことでもありません。


 おとなになり、人間関係の中で、たくさんの苦労を味わいます。
その中で、どんなに努力をしても認められない時。
人間関係に馴染めない時。
努力を重ねても、実績をあげることができない時・・・


 いつしか、心が病んで、生きることに疲れる時があります。
「燃え尽き症候群」とか言われることもありますが、
「うつ病」の始まりです。

 うつ病になると「頑張ろう」という意欲が湧きません。
 「頑張って」などと激励されると、ますます意欲を失ってしまいます。

 
 なぜかって?

 
 頑張りすぎたから、そんな病気になってしまったのだから。
それ以上は頑張れないのです。


 「もう頑張らなくていいんだよ。」
 そんな一言が嬉しいんです。


 再び、「頑張ってみよう」という意欲が湧いた時に、

 「一緒に頑張りましょう」 と声をかけてくれる、
そんな風に寄り添ってくれる存在が必要なんですよね。


2009年10月29日 14:56


チャレンジド

 現在、NHKで「チャレンジド」というドラマが放映されています。
 ある教師が失明し、戸惑う中で、妻の協力の下、再び教師の道を歩む物語です。

 「チャレンジド」という言葉は、「神から挑戦する機会を与えられたもの」ということだそうです。

 ボクがこの言葉を知ったのは10年位前でした。


 ただ、障害を持ったものが、そんな風に思えるのだろうか。
 そんな意識を持つことが可能なのだろうか。

 最初の頃はそんな気持ちで一杯でした。


 でも、人間の持つ可能性は無限大なんですよね。
人間の成長次第で意識を変えることが可能になるのですね。


 改めて「チャレンジド」という言葉を見つめなおす機会となりました。


2009年10月26日 16:54


いもたき

 昨日は、松山市にある「野外活動センター」で「いもたき」がありました。
 久しぶりのいもたき・・・ と?ってもおいしかった?(*^_^*)

 以前にも「高次脳機能障害」について記事をかいたことがあります。

 昨日のいもたきは「愛媛高次脳機能障害を支援する会 あい」主催のもので「当事者」「その家族」「支援者」たち合わせて、20名を超す参加となりました。

 代表を務めるご夫妻の段取りのもと、準備が進み、いざ食事。
 もう、ほんとうにおいしくて、おいしくて、ほっぺが落ちそうでした。

 いもなどの具材を食べ終わった後、うどんが入りました。
 だしが十分出た後に入れたうどんが、これまたほっぺが落ちそうになるくらいおいしかった?(●^o^●)

 他にも差し入れで、柿を持ってきてくれた人。
ありがとうございました。
「太秋(たいしゅう)」という品種だそうで、とても甘くて歯触りがしとっとしてて?
これまた、涎が止まらないほどおいしかった。

 野菜の具材の多くは、家族の方からの提供です。
「自宅で作っているから・・・」といって下さいますが、有難い好意です。


 世の中、こんな風に「相手のために」「誰かのために」
そんな活動を続けている方がたくさんいます。

 そんな方たちがいるからこそ、日々の平和があります。

 ささやかな「いもたき」という場でしたが、みなさんの好意を十分に感じることができました。


 おいしいものを、気の許せる仲間と味わうひととき。
これも人生の中で、至福のひとときなのかもしれません。


 人間が耐えられないひとつに「孤独」があります。

 友の存在、仲間の存在。

 それは、人生で掛け替えのない財産ではないでしょうか。


2009年10月19日 15:08


お酒は飲んでいない

 現在日本にはたくさんの種類のお酒があります。

 随分以前の話ですが、勤務していた医院で、院長から尋ねられました。
 「ここで何をしていきたいの。」
 ボクはすぐに答えました。
 「西洋医学を学びたいです。そしてそれを東洋医学に活かしたいです。」

 院長はボクにひとつの仕事を与えてくれました。
 それは、勉強を兼ねて、入院患者さんの検査データを集めてカルテに記入することでした。

 毎日、検査室に行って、検査データを患者さん毎にファイルし、そのデータをカルテにも記入し、レントゲンフィルムと心電図を院長の病棟回診に使いやすいように整理していました。

 毎日の業務を終えてからの作業だったので、帰宅するのは21時頃になるのは常でした。

 
 そんなある日、ひとりの男性の入院患者さんの肝機能の血液検査で、他の数値は少しずつ改善傾向があるものの、「GPT」と「γ‐GTP」というの数値が改善していないのです。
 薬の処方は適切なはずだし、効果が現れないのがおかしい現状でした。

 院長にすぐに報告しました。

 院長はすぐに病室に向かい、その患者さんと話されました。
看護師と一緒にボクも同行しました。

 そこでの会話は笑ってはいけないけど、笑えるような話だったのです。

院長「もう薬の効果が出ていいはずなんですけどね。おかしいことに良くなっていないんですけど、思い当   たることはありませんか。」
患者「そうですかー。私は先生の言われることはきちんと守っているのですが・・・」
院長「そうですか。それではもう一度確認しますけど、お酒は絶対に飲んでいませんね。」
患者「勿論ですよ。」
院長「ビールも飲んでいませんね。」
患者「飲むわけないじゃないですか。」
院長「それでは、ウィスキーも飲んでいないのですね。」
患者「あっ、ウィスキーはお酒ではありませんので・・・ちょっぴり飲んでます。」
院長「どこで飲んでいるのですか。」
患者「えへへへ、実は寝る前にここで。」

 と言いながら、ベッドの下の箱からボトルを出して見せました。
 即、没収でした。

 確かに「お酒」と言えば「日本酒」を指す場合があるけれど、養生する時に使う「お酒」という言葉は通常「アルコール飲料」全般を言っていると受け止めるものです。


 改めて、人間の狡猾さと言うか、自身の都合で受け止めたり、考えたりする現場を知った機会でした。


2009年10月15日 09:13


ハッピーマンデー

 「国民の祝日に関する法律」が、「ハッピーマンデー制度」を導入するという形で1998年と2001年に改正された。
 それで「体育の日」が、10月10日から今日10月第2月曜日に変更されたのだ。


 国民の祝日が増えるに伴い、休日が増えることは喜ばしいと思われるが、こんな意見を持つ人がいた。

 「公務員や大企業は祝日だからと言って休むことができるが、我々中小企業のものや個人事業主にとっては有難くもない。やすんだ分だけ売り上げが落ちるんだから。」

 景気が低迷している現在、休日だと喜べるのは公務員と大企業のサラリーマンだけなのかもしれない。


 病気を扱う「病院・医院」
 公共交通機関
 宿泊施設
 
 などなど・・・

 勿論これらの施設が休まないのは、経営の面から休みを取らない、取れないと言った面があることを否定はできない。
しかし、国民として休業されては困るのではないだろうか。


 「ハッピーマンデー」

 本当にハッピーなのは・・・
 誰なのだろう・・・


2009年10月12日 15:34


〇〇セラピー

 世に「〇〇セラピー」と表示されるものが随分増えてきたように思いますが、皆さん如何でしょう。


 「セラピー」とは「治療」を指します。
 色々な治療・癒しが存在することを示しているのでしょう。

 考えると、人間は自然の中で生きています。
 言い換えると、自然なくして人間の生命は成り立ちません。
 皆さんはそう思いませんか。


 横文字で表現されているものに「セラピー」「トリートメント」「ヒーリング」などがあります。
「セラピー」は治療一般を表し、「トリートメント」は何らかの薬物などを用いる治療法を表し、「ヒーリング」は癒しを表します。

 欧米では言葉の使用が明確に分かれていますが、日本では日本で生まれた考え方でないためか、明確な区分がなされていない現状です。


 「森林浴」「温泉」は、自然とのかかわり。
 「馬術療法」「イルカ療法」などを含む「動物介在療法」は、他の生命体とのかかわり。
 「音楽」「絵画」「詩歌」などの「作品を通して育まれる交流」や
「スポーツ」「競技」などで育まれる「仲間意識」「勝負」は、人間同士のかかわり。


 ここに記したかかわりは、「人間の側から見た人間にとっての治療・癒し」もしくは「自分自身から見た相手のの存在を有意義に用いた治療・癒し」ではあるが、相手にとってどうであるかは明らかにすることはおそらくはできないでしょう。


 ボクがよく口にする考え方ですが、
「地球に優しく」とか「地球を守ろう」という考え方自体が人間の傲慢さを表している。
 人間は、地球に優しく見守られ、そしてその存在を守られている。

 だからこそ、地球に迷惑をかけないようにしよう。

 そんな考え方が大切なのではないでしょうか。


2009年10月 8日 15:11


女性専門外来

 「女性外来」とか「女性専門外来」ということばを耳にする機会が多くなったのではないでしょうか。

 以下は、2009年2月9日の読売新聞掲載記事である。

 東京女子医大東医療センター性差医療部の片井みゆき准教授らの調査で次のようなことが分かった。
 更年期障害などと診断されていた女性患者の27%で、甲状腺などの病気が見逃されていたという。

 同センター日暮里クリニック(東京都荒川区)は2007年10月、女性の病気を総合的に診る「女性専門外来」を開設した。
 以後、半年間に、月経不順やめまい、発汗、倦怠感などの不定愁訴を訴えて受診した患者を分析した。
 ほかの病院などで卵巣機能不全や更年期障害と診断され、女性ホルモンや漢方などを投与されたが、症状が改善せず、同外来を受診した患者は85人(20?50歳代)。このうち23人(27%)で、症状の原因となる別の病気が見つかった。
 多かったのは、バセドー病や橋本病など甲状腺ホルモン異常(6人)。更年期障害と同じような症状が表れるが、甲状腺の治療をしなければ症状は改善せず、病気は進行してしまう。
 そのほか、脳下垂体の病気、膠原(こうげん)病、頭部打撲で起きる硬膜外血腫(けっしゅ)、慢性膵炎(すいえん)などが見つかった。
 片井准教授は「女性の不定愁訴は婦人科や内科などの医師が単独で診ることが多いが、専門外の臓器に原因があることもある。複数の診療科の医師が連携する『女性専門外来』は、見落としがちな病気を発見しやすい」と話す。
 女性専門外来 女性の体と心を専門的に診る外来。主に女性医師が十分な時間をかけて初診。様々な診療科の専門医が連携して診療にあたる。鹿児島大病院で2001年に初めて登場し、以後、全国に広がり、現在は400か所を超えた。全国の外来はNPO「性差医療情報ネットワーク」のホームページ(http://www.nahw.org/indexWomenHospital.htm)で検索できる。


 女性専門外来はだいぶん普及してきている。
 次は男性専門外来の必要があるのではと思うのはボクだけであろうか。


2009年10月 5日 18:13


多摩テック閉園

 この報道をボクは26日の朝に聞いた。

 多摩テックは、48年前に「のりものの遊園地」として開園し、時代の要請を受けながら、子供たちの絶大な支持を受けて成長していったが、施設の老朽化と利用者の激減により、この度、9月30日をもって閉園を迎えることとなった。

 ニュースの中で、園内で47年間焼きそばを作り続けてきた婦人が、「お客さんの『おいしかったよ』の7文字に支えられて働くことができた。」と語っていた。

 
 改めて時代の移り変わりを知ると共に、世の中には「変わらなければいけないこと」と「変わってはいけないこと」があることを考える良い機会になった。


 皆さんにもこんな機会だからこそ、ひとりひとり考えてみて欲しいと思いました。
 自身にとって、「変わらなければいけないこと」と「変わってはいけないこと」
 自身の家族や友人に対して、「変わらないでいて欲しいこと」
 世の中に、「変わらなければいけないこと」と「変わってはいけないこと」


2009年10月 1日 10:27


交通事故

 ボクも過去に交通事故にあい、苦しんだ経験を持っている。
 交通事故により、身体的な問題だけではなく、精神的にも、社会的、職業的、経済的にも悩み、苦しんだ。

 今、これを書いている間にも、日本のどこかで、世界のどこかで、交通事故が起こっているのだろうと思うと、やりきれない気持にもなってくる。


 ある人が言ったことがあった。
 「これほど車社会になったのだから、交通事故も天災みたいなものだよ。」

 ボクはその人に言った。
 「それは間違っている。どんなに多くの交通事故が発生しようとも、交通事故は人災だ。根本を間違えるな。」と。

 その人は驚いて、言い訳をしながら立ち去って行った。


 ボクは、勿論交通事故を起こす人に気をつけて欲しいと願っている。
 しかし、ミスを犯さない人間は存在しない訳だから、起こした人を責めるだけで解決するとは思っていない。
 でも・・・である。
 交通事故を起こした本人が開き直り、あたかも被害者の方が悪かったように口述したり、自身の非を認めず逃げたりするケースが存在する。

 
 間違いを犯したときは、素直に謝罪をすることが大切だと思う。
謝罪をする勇気を持って欲しいのだ。
 それは許しを乞うのではなく、どこまでも謝り続ける覚悟だと思っている。


 「被害者意識」という言葉を耳にするたびに思うことがある。
 被害者にも問題があると言わんばかりの意識である。

 許しを請われて、「はい、もういいですよ。許してあげますよ。」
 そんなふうに簡単に許せるものではない。
 大切なのは、自身の罪を背負い続ける覚悟だと思う。
 許しを乞わずとも、背負い続ける覚悟がある人は、日常の行動に現れるものである。


 自転車による事故が増えている。
 電動車いすの事故も増えている。

 歩行者に問題がある事故も多いと聞く。

 交通事故は、お互いが気をつけ合って、絶対無事故の日々であって欲しいものである。


2009年9月28日 16:32


女心と男心

 慣用句と言われるほど良く耳にする言葉のひとつに「女心と秋の空」というものがある。

 この考えに異論を唱える人もいるかもしれないが、ボクが言ったことではないのでその点御承知願いたい。


 我が友と話をしていて、話題が「男と女の話」になった。

 ボクと友は似たところが随分あるが、「男としての器」という点において友の方が遥かに極上である。
ボクも友のように成長したいと願って努力は続けているが簡単ではない。

 そんな中で出た話題が「女心と秋の空」であった。
 ボクは以前に聞いたことがありその旨話をした。
 「昔は、男心と秋の空だったそうだよ。」

 友は、
 「僕もそのように聞いたことがある。」と言っていた。
 友の口から続いて次の言葉があった。
 「あるコメンテーターが、そのことでこんなことを言っていた。やはり、男心と秋の空でしょうね。そして女性に対しては、女心と猫の目でしょう。」


 ボクは、言い得て妙だと拍手した。


 ただ、この年齢になっても女心が分からないボクはどうなんでしょうね。


2009年9月24日 15:57


天気予報

 皆さん、天気予報を見ていて気づきませんか。
「天気が良い」「天気が悪い」とは言わないことを。

 
 ずいぶん以前にボクが、そのことを知人に言った時、ひとつのコメントをくれました。
 その人の言うことによると、
「一般に晴れると天気が良いと言い、雨だと天気が悪いと言うよね。でも晴れた日ばかりが続くと日照りが続いて作物が実らないという問題が起きるよね。だから恵みの雨とありがたく思う。だから、良し悪しはその人の状況により変化する価値観だから一定していないんだ。天気は状況を伝える事が大切だから、良し悪しの表現は使わないんだ。」

 思わず納得してしまいました。


 世の中、知らないことだらけのボクであることを再認識した時でした。


2009年9月22日 12:42


外反母趾

 「外反母趾」
 よく見かける病状のひとつです。
 圧倒的に女性に多い。

 昔は存在しなかった病です。
 ある意味において「現代病」と言えるかもしれません。

 足に靴を合わせていけば問題は起きないだろうけど・・・

 靴に足を合わせる。
 そんな行為は、女性の美への探究心が招いた病と言えるでしょう。


 こんなことを書くと、女性から非難の声が届きそうですが・・・
健康な足を、健康な体を、安全な歩行を、
こんなことを考えると、本来あるべき姿として、足に靴を合わせていきましょう。

 皆にそう言いたい気持ちでいっぱいになります。
 


2009年9月17日 21:38


人間関係

 ストレスを溜める大きなひとつの要因として「人間関係」があげられます。
 このことに異論を唱える人は、まずいないでしょう。


 人付き合いの上手な人、苦手な人、それぞれ個人差が大きいものです。

 人付き合いが上手な人が、幸せであり、地位や名誉を手に入れ、財産を築いているとは決して言えないから、不思議であると思います。


 ただ、自殺者が死因のトップ10に入っている現状です。
これはゆゆしき問題です。

 日本医師会を始め、医療関係団体では、その対応を検討して実施に向けて動いています。
厚生労働省もその対応を推進すべく動いています。
 
 でも、ひとりひとりの心の中まで他人が、制度や法律が関与しきれるものではありません。

 どうすれば、自殺と言う悲劇を回避できるのか。
ひとりひとりが自身の課題と捉えて、考える機会を作って欲しいと願っています。


2009年9月14日 09:22


秋色

 朝晩ずいぶん涼しくなってきました。

 街行く人々の服装にも秋が感じられます。

 日本人特有というか・・・
 四季折々の表現が豊かです。

 四季に色がある訳ではありませんが、色で表現する感性がとても豊かです。

 
 健康の色、病気の色
 平和の色、争いの色
 幸せな色、不幸な色
 安楽な色、多忙な色
 思いやりの色
 真心の色


 このような色が存在するのか・・・
 その色は人により、時により、精神状態により変化するものなのか。


 「秋色」と言っても、人によりイメージの幅があるでしょう。
 でも、このような感性は大切にしたいですね。


2009年9月10日 11:12


政治家

 ずいぶん以前になるが、ある人からこんな話を聞いた。

 「政治家とは刑務所の塀の上を歩いているようなものだ。それが歩けないものは政治家にはなれない。」と。


 聞いた時から納得はできないでいる。
 その人の言いたいことは十分に分かる。
確かにその通りなのかもしれないからだ。

 でも・・・ それが良いわけではない。
 それで良いわけではない。


 政治の世界では当たり前の考え方でも、国民ひとりひとりの常識からはかけ離れていることも多くあるのだと思われる。

 政治を、政治家を監視するのは、監視できるのは国民ひとりひとりである。

 
 「青年よ、心して政治を監視せよ。」と言った方がいた。

 青年だけではない。
 私たちひとりひとりが政治を、政治家を監視していかなければ、政治も政治家も良くならないのだ。

 皆さんはそう思いませんか。


2009年9月 8日 09:26


井戸端会議

 女性は話好きである。

 ほんとによくしゃべる。
 中には機関銃の如くしゃべりまくり、息継ぎをするのがやっとというしゃべり方をする人もいるくらいだ。


 女性の脳と男性の脳とは、根本的に作りが違うようだ。

 小説家 渡辺淳一さんが「解剖学的女性論」という作品の中に書いてあったことだが、「犬と猫が違うように、人間の男と女も違う。同じ人間だと考えるからなぜ分からないんだろうと思うが、これだけ違うということが分かれば、分からなくて当たり前だということが理解できる。」というような内容であった。


 そう言われればそうかもしれないなあと思うボクである。

 女性の井戸端会議は、決して悪いものでもない。
 情報の発信、受信の場としてとても意味がある。
 女性の井戸端会議に上る情報は、あらゆる媒体をしのぐほどの波及効果を発揮する。


 この力は侮れない。


2009年9月 3日 17:10


衆議院議員選挙

 昨日は、衆議院議員の投票日でした。

 民主党の圧倒的躍進で絶対的安定数を得て、参議院との関係でねじれ国会と言われていた状態から民主党の独壇場の国会運営になろうとしています。

 国民の選択の結果とは言え、恐ろしくなるような結果と思われました。


 本当に民主党が良くて投票した国民がどのくらいいたのでしょう。
 「自民党が嫌いだから」「自民党が信頼できなくなったから」という理由が民主党を選択した理由の人が圧倒的に多かったのではないでしょうか。


 できることなら、自分の信念や思想を持った上で、共感できる政党、共感できる人を選択して投票できる環境が欲しいと思った選挙でした。


 ある報道番組でこのようなコメントを出した人がいました。
 「今回の選挙は、信用できない自民党と信用が足りない民主党のどちらを選択するかという結果だった」と。
 言い得て妙だなと思いました。


2009年8月31日 14:34


世情とテレビドラマ

 マスメディア関係の方は、世情を掴むのがとてめ上手いと感じています。
 テレビドラマを見ると現在の日本の一面を知ることができるからです。

 皆さんはどんなドラマや映画を見ますか。

 私は感動ものが大好きです。
 見ていて、
  「作りものだなあ。」とか、
  「こんなこと絶対にありえない。」とか、
  「これは明らかに間違っているだろう。」とか、

 色々と指摘したいと思う点や感じる点があるのはあるのですが・・・
それはそれとして、やっぱり感動する作品は良いと思います。


 ただ、そこから様々な情報を仕入れている人もいるのだと思います。
間違った情報は、間違った知識を蓄積させ、ひいては間違った思想や行動を導きかねません。


 健康に関する番組も増えました。
 情報を手に入れる機会が増えたということです。
 その情報を上手に利用するかどうかはひとりひとりの意識にかかっています。


2009年8月27日 16:46


音楽

 音楽に無縁の人はいないでしょう。

 音があり、音楽が生まれる。
 自然の奏でる音、人間の体の発する音、人間が作り出した音。

 地球は、この宇宙で最も騒がしい星なのかもしれない、とボクは思ってます。


 音楽は、人間の心に様々な影響を与えます。


 楽しい時、嬉しい時、悲しい時、苦しい時、
 褒められた時、叱られた時、
 励まし時、励まされた時、
 前進する時、後退する時、
 成長する時、衰える時、
 生まれる時、死ぬ時、

 様々な場面で音楽が生まれます。
 音楽、それは人間が作り出すというよりも、もっと根源的に人間の心身の活動と共に生まれると言っても良いのではないかと思います。

 故に「音楽療法」というものが成り立つのではないでしょうか。
 皆さんは如何思いますか。


2009年8月24日 11:42


風情

 近年「風情」が失われてきていると感じるのはボクだけでしょうか。

 日々氾濫する情報の中で、多忙な日々を過ごしている皆様にとって、風情を楽しむといった余裕はないのかもしれませんね。


 ストレス社会と言われる現在です。
 ストレスは、決してマイナスのものではありません。

 成長のためにストレスは不可欠です。

 しかしその人にとって過剰な刺激であれば、心身を蝕みます。

 ストレスと向き合って過ごすことのできる心身と、それを癒すことのできる環境を整えておくことができれば良いのです。


 「言うは易し、行うは難し」という言葉があります。

 その通りですよね。
 自分ひとりでは難しいならば、共にする相手を見つければ良い場合もあります。

 そのためにも、学び、対話を繰り返し、自身の中を豊かにしていきたいと思っています。


2009年8月20日 21:02


夏休み

 こどもは今夏休み真っ只中ですね。
 夏休みを取れない親は、こどもの休みを羨ましく思っていることでしょう。


 「休日」というのは本来どのような意味を持ち、どのような経緯で始まったのでしょう。
 この問いにボクは答えるだけの情報・知識を持っていません。
答えられる人がいれば、ぜひ教えていただきたいと思っています。

 ボクのこどもの頃のカレンダーは、日曜日が週末に位置づけされていました。
いつからか、日曜日が週初めに位置づけられるようになりました。
 この変化がどういう意味で起こったのかボクは知りません。

 この頃から、休みに対する捉え方が変わっていったのではないでしょうか。
 「休養」を取る日曜日から、「余暇の活用」という日曜日への変化です。

 この変化が、日曜日だけではなく、休暇すべてに当てはまるようになったのではないでしょうか。

 
 ボクのこどもの頃の夏休みには課題もたくさん出題されていて、その課題に取り組むのが夏休み終了5日前位で、親に小言を言われながら必死に取り組んでいたのを思い出します。


 今のこども達は夏休みを思い出深く、そして楽しく過ごしているのでしょうか。


2009年8月17日 13:31


盂蘭盆会

 今日は、お盆の入りです。

 「盂蘭盆会」の由来と詳細は、皆さんがそれぞれに調べていただければと思います。
 今回は盂蘭盆会の持つ意味を違った視点で考えてみたいと思います。


 一般的に「いのち」がこの世に誕生し、死を迎えるまでを「生」と考えます。
 でも考えてみてください。
 そのいのちはどこから生まれ、死んでどこへ行くのでしょう。
 これを確かめた人はいません。

 でも、ボクは思うのです。
 人が寝ている間の様な状態が死ではないかと。

 懸命に生きた人は、夜は熟睡します。
 人生を懸命に生きた人は、安楽な死が待っていると。
 故に、翌朝すっきりと目覚める様に、次の世に果たすべく使命を持って誕生するのだと。


 「先祖は」というと大げさに聞こえるでしょうが、自分の親が自分に一番望んでいることは何かと考えれば、原理は同じです。
それは、幸せになること、幸せな日々であることだろうと思います。

 自分が幸せに向かって使命を果たすべく生きる、その福運というものを先祖に贈ることが供養であると思います。

 健康な日々を、幸せな日々を、そして平和な日々を噛みしめながら生きていきたいですね。


2009年8月13日 16:44


麻薬事犯

 前回に続き、麻薬を取り上げます。

 1951年に「覚醒剤取締法」が制定されました。

 覚醒剤の呼称には「麻薬」「シャブ」などがあります。
 「シャブ」とは、骨までしゃぶることからそう呼ばれたとか。。。

 2007年の覚醒剤事犯は17,000件で、摘発は12,000件を超える数であったそうです。

 現在、あらゆる流通手段により主婦や高校生にまで蔓延し、「第3次乱用期」であると指摘されています。


 戦時中には、軍が野戦や特攻に赴く兵士に「突撃錠」として覚醒剤を配布した事実は歴史上の暗部として残っています。
 覚醒剤による高揚感が不安や苦痛を軽減させ、たくさんの命が戦争の犠牲になったのです。

 
 では、覚醒剤は悪なのか。必要ないのか。
 現在、治療が困難な病気で、疼痛を軽減させるために一部使用されています。


 人類の文化の発展において、使用の仕方により善にも悪にもなることはたくさんあります。
 核分裂や核融合による原子力も、爆弾として製造されれば「原子爆弾」として脅威を生む存在になります。
 しかし、発電に利用すれば、エネルギーの確保につながります。

 
 ひとつのものや事象をひとつの視点から見るのではなく、多角的な視点を持つことが大切であると考えます。


2009年8月10日 15:18


麻薬事件

 「押尾学」「高相祐一」の二人が覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕されたという報道が駆け巡った。

 押尾容疑者は、MDMAを使用していたとして、3日に警視庁に逮捕された。
妻の女優・矢田亜希子さんは別居中であったけれども悲痛な面持ちであったことが報道されていた。

 高相容疑者は、覚醒剤を所持していたことで、3日に警視庁に逮捕された。
妻の女優・酒井法子さんは、現在行方が不明で捜索が始まっている。


 過去にも芸能界だけではなく、著名な方たちがマスコミを賑わしてきた。
 有名になればなるほど、誘惑も多くなるということであろう。


 覚醒剤を別名で「麻薬」と言われる。
 私は「麻薬」ではなく、「魔薬」だと考えている。


 現在あらゆる手段で、覚醒剤だけではなく、その類似作用を持つ薬物が日本国中に広まる傾向にある。
 薬物の受け渡しや売買の手口はほぼ共通しているが、携帯電話の普及で犯罪が行われやすい環境が作られてることは悲しむべき事実である。

 ストレス社会と言われる現状だからこそ薬物に手を出しやすくなるのだろうと思われる。


 民間自助組織に「ダルク」がある。
 ダルク(DARC)とは、ドラッグ(DRUG=薬物)のD、アディクション(ADDICTION=嗜癖、病的依存)のA、リハビリテーション(REHABIRITATION=回復)のR、センター(CENTER=施設、建物)のCを組み合わせた造語で、覚醒剤、有機溶剤(シンナー等)、市販薬、その他の薬物から開放されるためのプログラムを持つ民間の薬物依存症リハビリ施設と説明されている。


 この組織の助力により更生の道を歩んでいる人が多くいる。
 四国にも高知県に1997年にダルクが設立されている。

 高知ダルク・インパクトハウス
  〒784-0032 高知県安芸市穴内乙390-3
  電話 0887-35-2997   0887-35-2997
  FAX 0887-35-2997
  代表 立川 久永


 しかし、薬物に手を染めないことが最も重要であることは言うまでもない。
一度薬物を使用すると、簡単に手を切れなくなる。
最後は人間の尊厳を失くした死が待っている。


 薬物を勧める人間は、良い人を装い、巧妙に仕掛けてくる。
 最初から薬物であることを教えて勧める売人はいない。

 健康志向が高まっている現在、あらゆる栄養補助食品が流通している。
 サプリメントの一つを装って勧める手口が多いと聞く。


 覚醒剤のない社会を望みたい。
    


2009年8月 6日 12:05



 ずいぶん暑くなってきました。
 夏本番ですね。

 東洋医学では季節に応じた養生が説かれています。

 人間の心身も外界からの影響抜きには考えられません。

 体の丈夫な人は、暑さにも強い。
 心身の健康状態が低下すると、暑さに弱くなってきます。

 マスコミでも取り上げられますが、水分の補給が重要です。


 生命活動の維持に一番必要なのは「空気」です。
呼吸ができなくなれば、即「死」が待っています。

 次に必要なのが「水」です。
食べ物がなくても数日は持ちます。
しかし、水分を補給できなければ死が目前になります。

 体のあらゆる生命活動に水は不可欠だからです。
毎日、一日に1.5リットル以上の水を取る努力が必要です。
これには、3食の食事に含まれる水分も含まれます。


2009年8月 3日 15:19


選挙

 今年は選挙の当たり年?
そう思いたくなるほど各地で選挙が行われています。

 8月30日(日)は、衆議院議員選挙の投票日です。

 皆さんは選挙の投票に行きますか?
 ボクは必ず行きます。
 過去に一度だけ行けなかったことがありました。
交通事故にあったためです。タクシー乗車中に後ろから3台玉突きの事故にあったのです。
その時以外は必ず投票に行きます。

 「誰に入れたって世の中変わらないよ。」という人がいます。
 「自分ひとりが行っても何にも変わらないよ。」という人もいます。

 
 確かにそんな一面はあるでしょう。
 でも、ボクはこんな風に考えています。


 過去に、世の中を変えた歴史的人物がたくさんいます。
その人たちも初めはたったひとりの戦いから始まったのです。
自分が変わらなければ、周囲の人も変わりません。
自分が変わった分だけ、周囲が変わります。
その積み重ねが、波紋を広げ、世の中を変えていくのです。


 「何を青臭いことを。」という批評の声が聞こえてきますが、
今、青臭いことすらも言えない人が多いのではないでしょうか。


 青臭いこと言いましょう。
それは、夢を語ることにつながります。
そしてそれは、自身の人生を振り返り、新たな一歩を踏み出す機会にもなるでしょう。


 現代、うつ傾向にある社会です。
それはたくさんの情報に振り回され、自分自身を見失いやすい傾向にあるということです。
言い換えれば、病的な社会とも言えるでしょう。


 ひとりの議員を選ぶという意識とその行為が、健康な社会を作る第一歩になるのだと信じて欲しいのです。


2009年7月27日 19:24


健康診断

 皆さんは、健康診断を受けていますか。

 昨年度から「特定健康診査・特定保健指導」という制度が実施され、40歳以上の人には義務付けられるようになりました。


 ここで、皆さんに心に留めておいて欲しいことがあります。
 意外と知られていないのが、目の病気です。

 「緑内障」という病気を御存知でしょうか。
中高年者に増えている病気です。
治療が手遅れになると失明してしまうという、ある意味において恐ろしい病気です。

 昔は「青そこひ」と呼ばれて、治療法のない病と言われていました。
今は手術法も開発され、効果的な薬もあります。

 あれっと思うような症状、「目がかすむ」「虫が飛ぶ」「まぶしい」「目が痛む」「目の症状と伴に頭痛や吐き気がある」などがあるような時は、大至急「眼科医」に相談して下さい。
症状が治まっても、気を抜くことなく「眼科医」へ相談することを強くお勧めします。


2009年7月23日 12:50


漢方薬

 最近でもよく話題に出るのが「漢方薬は西洋医学の薬と違って副作用がないのよね」という話です。

 洋の東西を問わず、副作用のない薬はありません。


 ひとつのイメージがその人の心に焼き付いているのでしょう。
 それは、西洋医学の薬による副作用や薬害と呼ばれる情報がマスコミを通じてたくさん入っていること。
そして、漢方薬で劇的な回復に出会ったことがないこと。

 大きな理由としてこの二つがあると思われます。


 西洋医学の場合、病気の原因を特定し、そのために必要が薬が処方されます。
その薬には、処方される時の目的にある薬効が主作用であり、それと共に現れる作用が副作用です。
副作用と聞けば「悪い作用」というイメージを持ちやすいですが、「副効用」と言われる副作用もあるのです。

 漢方薬は、その人の病因・病状などを把握して「証」を決定します。
その証に合うように生薬を組み合わせて処方されるものです。
故に、症状が同じでも体質、病因などが異なれば、証が違うので、異なる薬が処方されることになります。

 証が合えば、その効果はすぐに現れるので即効性を期待できることもあるのです。


 薬効という意味において、抗生物質の処方により命が助かったという歴史的経緯があること。
たくさんの病気において劇的な効果をあげてきたこと。
西洋医学の発展と共に薬の開発が進み、その効果も上がってきた歴史を考えると、漢方薬よりも西洋薬の方が効果があると思ってもやむを得ない現実はあると思います。


 今はまだまだですが、もっと漢方薬の作用機序が明らかになり、化学的根拠を持つようになると、今よりももっと漢方薬の薬効が上がり、西洋薬との壁もなくなる時代が来ると、ボクは考えています。


2009年7月20日 15:01


たばこ

 最近、禁煙が進んで、愛煙家の人たちがずいぶん肩身の狭い思いをしているようです。

 でも「百害あって一利なし」とも言われる通り、禁煙は必要だと思います。

 しかし、たばこで生計を営んでいる方たち、たばこ農家、小売店などの方たちのことですが、ずいぶん苦労をされているようです。

 ボクも一時期、たばこを吸っていました。
 禁煙したのは、「健康運動指導士」の資格を取得しようと決意した時からです。


 産業、経営、生計の面では、私は何も言えません。
 しかし、喫煙者のマナーの面からは一言しておきたいことがあります。


 ボクは、歩きながら喫煙はしませんでした。
 ボクは、たばこの吸い殻を必ず持ち帰るか、吸い殻入れに入れました。


 愛煙家の皆さん、ひとりひとりがこのような努力をしていれば、風当たりはずいぶん変わったのではないでしょうか。
今では遅すぎる感はありますが、それでも周囲の人への配慮を怠ることのないようお願いしたいと思います。


2009年7月16日 21:53



 自分の顔を初めて見た人は誰だったのだろう。
 その人は自分の顔を見て、何を感じ、どう思ったのだろう。

 皆さんは、そんなことを考えたことがありませんか。


 現代は様々な鏡が作成され、利用されています。

 神経学の世界では「ミラーニューロン」というものにも注目が集まっています。
訳せば「鏡の神経」となるでしょうか。


 鏡は自身を映すものであることは誰もが知っています。
ただ、本当の自分、自身の本質を映すことのできる鏡は存在しません。


 でも、人間の成長とともにその鏡に代わるものを手にすることはできます。
たまにはそんなことを考えてみるのも如何でしょう。


2009年7月 9日 16:41


外反母趾

 少し前からある婦人の「外反母趾」の治療を行っている。

 もう長く患っているようで、このままでは痛みよりも、歩行時の安定性が保たれず、転倒による弊害が十分に考えられるために早い内に対処していあげたいと考えているが、簡単に改善するものではない。


 一見して手術対応の状態であるからである。

 ご本人が手術を怖がって、なんとかなるものなら手術をせずに改善の努力をしたいと言われるので努力をしている最中である。


 外反母趾は女性に多い。
 足のためよりも、靴のデザインにこだわって履いているから起こると考えられるほど、靴の影響が大きい。


 足のためだけではなく、健康のためにも、靴の選び方、手入れの仕方など、ひとりひとり学ぶことが多い。
 ボクも心新たに思うことである。


2009年7月 6日 19:58


占い

 占いの類はたくさんありすぎて、ボク自身掌握できていない現状ですが、皆さんは信じている占いってありますか。

 ボクは基本的に占いは信じていません。

 ある女性が言っていました。

 「一応見るけど、自身に都合のよい事を言ってくれていれば一応信じる。都合が悪かったら無視する。」


 何とも大胆な意見であったが、至極当然なんだとも思った。


 ただ、占いの類はすべて何らかの根拠をもとに統計的に処理された結果をもとに結論を導いていることに違いはないようだ。


 確かに、当たっていると思うことがある。
でも、それは占いが当たっているのではなく、人間の人生における分岐点の選択には一応限りがあるので、その中のひとつがたまたま偶然に当てはまったという方が正しいのではないだろうか。


 占いの根拠となる統計を非難するつもりはない。
しかし、人生、未来が大切である。そのためにも現在が大切になる。
何かに頼りたくなる心理はすべての人に共通に存在する。
大きな決断を迫られた時ほど、背中を押してくれる存在。賛同してくれる存在が心強いものである。


 ただ、未来に目が奪われて、過去に思いをはせることができないことが多い。
また、そういう人が多い。

 人間誰しも、過去の積み重ねの上に現在がある。
どのような過去を背負ってきたのか。
その中には、他人を傷つけてきたことがあったり、他人のために心を尽くした人生があったりするだろう。

 
 過去の清算は必ずしなければならない。
誰もがいつかはそれに気づくときがくる。


2009年7月 2日 17:47


夢占い?

 ゆめ、夢、ユメ

 「夢を語る」の「夢」と、「夢を見る」の「夢」は異なります。
でも、同じ文字を用いるでしょう。

 こんなことはよくありますよね。


 今回のテーマは、「寝て見る夢」です。

 まず、皆さん最近夢は見ますか。
ボクはこのしばらく見ていません。
と言うよりも、起きた時点で覚えていないのかもしれません。

 夢を見た人は、どんな夢を見ましたか。
楽しい夢、嬉しい夢、悲しい夢、驚くような夢、恐ろしい夢

 現実的な、予知を思わせるような夢を見た事ありますか。
とても生々しく感じるものです。


 そんな夢を分析して、その人の精神状態などを明らかにしていく手法のひとつとして、「夢の分析」が行われることがあります。

 まだまだ、夢は未知の分野とも言えます。
ただ、楽しい夢、希望にあふれた夢を見る方が良いですよね。


2009年6月29日 13:59


携帯電話

 今や、携帯電話を電話機能だけで使用している人はとても少ないのではないだろうか。
 情報ツールとして様々な機能を使いこなしている人が多い。

 ボクが主に使用しているのは、メールの送受信は勿論のこと、他にも「電話帳」「スケデュール」「メモ」「インターネット」「電卓」「目覚まし」「音楽プレーヤー」などがあげられる。


 ただ、携帯電話の使用におけるマナーが守られていない現状が多く見受けられるのは事実である。

 会議中に呼び出し音が鳴る。これは、電源を切るか、マナーモードに切り替えておけば済む話である。
 病院内でも平気で使用している。使用可能な場所を設定している病院も増えてはいるが、まだまだ気をつけるべき配慮である。
 研修会などの場でも、平気で電話の着信に応じて会話を始める。これは、すでにマナー以前の問題と思われる。自分の家庭ではないのであるから、他の人の迷惑を考えるべきことである。


 便利さと表裏一体の関係に必ず問題点があることはすべてにおいて言えることであろう。
どんなに優れたもの、便利なものであっても、それを利用する人のマナーひとつで、普及に影響が出ることを知っておくべきであるとボクは考えている。


2009年6月25日 09:38


情報

 皆さんは、情報を何から得ていますか。

 時々、ボクも質問されることがある。

 「新聞、テレビ、友人・知人など」と答えると、
 「その中で一番多いのは何ですか。」と質問が返ってくる。

 う?ん。
 一番と言われると悩んでしまう。
 情報の内容によって違うからだ。

 専門情報になると、それなりの職種の知人や仲間になるし、
 個人的なことでは、友人になるし、
 一般的にものは、新聞やテレビになるし、


 おそらくは皆さんも同じような感じではないだろうか。


 情報が氾濫している時代である。
その中には正しい情報ばかりではない。
憶測や邪推に基づく情報も氾濫している。

 そんな氾濫している情報の中で、必要で、かつ正確なものをつかみ取っていくことはなかなか至難の業である。


 本来、それができる人のことを「頭の良い人」と言うのではないだろうかと思っている。


2009年6月22日 12:02


約束

 皆さんは「約束」を守れなかったことがありますか。

 こどもの頃に「走れメロス」という小説を読みました。
先生の紹介があったからだったと思います。
 ボクは、まんがは読むけど小説などのかたいものは好まない性分だったもので。。。

 「走れメロス」を読んだ感想として記憶に残っているのは、約束を守ることにそんなに大変な思いをしたんだ。
そんな思いをしてまで、なぜ守ろうとしたのだろう。

 今のボクも、メロスの心理は分かりません。


 でも、約束を守ることの大切さはとても良く分かるようになりました。


 守れない約束をしてはならない。
 約束したことは必ず守る。
 もしも守れない状況が起きた時は、その償いとして、代替のものももって行う。


 今のボクが心がけていることです。


 広い意味で「誓い」があります。
自分に対する約束です。

 これが意外と守れない。
 ボクにとっても頭の痛い話です。

 しかし、その誓いの中で、今ひとつだけ続けていることがあります。
そう、もう4年になるかな。

 誰かに自慢できるような大きな事ではないけれど、自分に胸の張れることです。


 「島田歌穂」という歌手がいます。
ボクは彼女のファンのひとりです。
彼女の歌の中に「約束」という楽曲があります。
その詩の中で次のような部分がありますので、紹介します。


  約束することは 誰もできるさ
  だけど 守ることは 生きるより 難しい


2009年6月18日 17:17


日記

 インターネット上で日記を書く人がずいぶん増えたようである。

 ブログという形でいろいろなジャンルにわたり、いろいろな形で書いている人がいる。


 ボクも2006年2月位からブログを立ち上げて書いていた。
1週間に1回位の割合だからとても少ない。

 多い人は1日に数回アップしている。

 書いている年齢層も決して若い人ばかりではなく、高齢の方も多くいる。

 素朴なレイアウトで、日々の生活を記録している人もいれば、
とても個性的なレイアウトを使って、内容も多岐にわたり、専門家顔負けの論説を述べている人もいる。


 内容の良し悪しなどは別としても、日ごろ誰かに何かを伝えたい人が多くいるのだなと思う。

 ボクもその一人である。

 面と向かって言えないことも、ネット上だと気楽に言える一面があるのも事実であるからだ。


 ただ、良い面ばかりではなく、悪用されることも多くある。
インターネットの技術はの進歩はとても良いことではあるが、それを悪用して犯罪が巧妙化している事実を知ると恐ろしくなる。

 人の未来を考えた時、健全で平和な社会であるために、どのような制度を作り、運用していく必要があるのか。
 人の意識はどのように成長しなければならないのか。

 いつも自身に問いかけていることである。


2009年6月11日 20:21


臓器移植

 昨日から歌手の松原のぶえさんが実弟から腎臓の提供を受けたという報道が流れていた。

 ボクは特に松原さんのファンでもないが、回復して日常生活を営むことができるようになって良かったと思う。


 皆さんは「臓器移植」について考えたことがありますか。
とても難しい問題ですが、ドナーカードの普及が急がれている面もあり、国民ひとりひとりが考えておく必要があると思っています。


 移植には、自分の組織を自分に移植する自家移植と、他人との間で組織・臓器の移植が行われるものがあります。

 自家移植は再生医療の発達により更に技術の進歩により、その恩恵にあずかることができるようになるでしょう。

 しかし、他人からの移植は、ドナー(提供者)と、レシピエント(受容者)の間で意識の違いが大きくあることを知っておく必要があると思われます。

 ドナーに健康被害が及ばない、血液、部分的な皮膚、死後に遺体から行われる角膜や腎臓など・・・は、普及が進んでいます。
 しかし、死体からでは行うことができない臓器移植には問題が多く残されています。
「臓器移植法」が施行された現在でも、普及が進まないのはその問題がクリアされていないからだと思っています。
ドナーカードを持っている人がどのくらいいるでしょう。


 「脳死」を「人の死」と位置づけられない者にとって、その壁は大きい。
 臓器の提供を受けなければ死を待つしかない者にとって、ドナーの存在は大きく、移植を待ちに待っている現状を考えると胸が痛くなります。

 しかし、そのレシピエントの側が、ドナーの出現を待つという意識が、人の死を願うことと背中合わせのものであることをどこまで知っているのか。理解しているのか。
ボクには分かりません。

 ボクは、臓器移植に対し、脳死という考えに異議を唱え、反対を表明しているわけではありません。

 「いのちの継承」

 この意識がひとりひとりの中に育った時、本当に臓器移植の芽が育っていくと思われます。


2009年6月 8日 19:43


健康情報

 様々なマスメディアで「健康に関する情報」が提供されている。
 うっかりすると、素人というか、一般の人の方が最新情報を持っていると感じることがある。

 それほど「健康」に関心がある証左であろう。


 ただ、プロにはプロなりのものの見方、捉え方、考え方があり、その結果が導かれる。
それがプロである所以でもある。


 たくさんの知識を持っているから、健康である訳ではない。
また、健康を手に入れることができる訳でもない。


 病気になったり、傷害をを受けたり、障害を背負った時、正しい知識と技術を持った方が、健康に向かいやすくなるのは事実である。

 そのためにも、友は大切である。
 人生の宝でもある。

 優しいだけが友ではない。
 時には苦言を呈してくれる。

 健康であるためには、人生を共にできる朋友を持つことでもあるとボクは考えている。
皆さんは如何でしょう。


2009年6月 4日 19:00


医療制度

 この世は法律で動いているのが現状です。
 でも、その法律は人間が作ったものであり、運用しているのも人間です。

 「弱者の味方」
 よく耳にする言葉ですが、法律は本当に弱者の味方でしょうか。
 都合の良い人間が、都合良く利用しているに過ぎないと思うことが多くあります。


 日本の「皆保険制度」は本当に優れた制度です。
でもそこで保険料の納入者の減少が際立ってきているというニュースがあります。

 確かに、払いたくないという気持ちが分かる一面はあるものの、支払っているからこそ、その恩恵にあずかれることも現実に多くあるのです。
 それを無視して自己主張を繰り返すことは決して自身のためにはならないでしょう。


 いざという時のため、自分は元気でも自分の家族のため。。。
理由はいろいろあるけれど、間違っているならば、その間違いは正せば良いのです。
 そこには言葉の持つ力が要求されます。

 今、「医療崩壊」が叫ばれています。
崩壊させてはならないのではないでしょうか。
そこで困るのは自分自身なのですから。


2009年6月 1日 13:57


専門家と専門バカ

 ずいぶん以前に友人・知人と議論をしたことがあった。
 お互い職人のような仕事をしている立場だから、話題になりやすかった。


 いろいろな意見が出る中で、何が違うかという課題で集約すると、ひとつの結論が出た。


 専門バカとは、自分の専門とする分野には詳しいが、他の分野においては全くと言っていいほど、関心も低く、自身の見解も持っていない。
 専門家とは、自分の専門領域は勿論のこと、関連する分野にも幅広い見識を持ち、関連分野の人との連携が十分にできる。


 専門家になるには、なかなか難しいものだ。


2009年5月28日 18:49


専門家とは?

 「専門家とは・・・」
 この質問に明快に答えられる人がいるだろうか。

 広辞苑によると次のように記載されている。
 「ある学問分野や事柄などを専門に研究・担当し、それに精通している人」

 誰もが一応は納得する説明であろう。
でもボクは心に引っかかるものがある。


 以前に勤務していた病院で、ボクは次のような経験をしたからだ。

 
「先生、今日訓練休みます。」
 担当する一人の入院患者さんが声をかけてきた。
「何か急用ができたのかな。」と簡単に考えていた。
 それから一週間、彼は訓練室にくることを拒否した。
理由も何も解らないボクは、心配で、何度も何度も病室に足を運んだ。
毎日「理由を教えて欲しい。」と話しに出向いたのだ。
 しかし、彼は決して理由を話そうとはしなかった。その表情には険があり、目には怒りが宿っていた。
 一週間経って、ボクは彼に謝罪した。
「気づかないところであなたを傷つけていたのではないだろうか? ボクにできることは償わせてもらうから理由を教えて欲しい。」
 彼はやっと心を開いて、話してくれた。
「先生はプロやろ。訓練休みますと言ったあの朝、何があったか知ってる? 医者からこの腕はこれ以上治らんと言われたんだよ。そんな気持ちで訓練なんかできる訳ないやろ? そんな患者の心の変化にも気づかないで、何がプロや。」
 彼の言葉は、ボクの肺腑をえぐった。
「気づかずにごめんなさい。未熟なボクでごめんなさい。」
 これが精一杯のボクの謝罪の言葉だった。
 セラピストの道を歩み始めて3年目の出来事であった。
 それからは、患者さんの立場、境遇、感じ方、受け止め方、考え方、精神状態など、配慮すべきことがあまりにも多すぎて、背負いきれなくなってしまう。
 でも、彼の言葉がいつも寄り添っている。


2009年5月25日 13:07


買占め?

 先日、関西に住む叔母から携帯にメールが入った。
 文面には「マスクが手に入らないために送って欲しい」という依頼であった。
そうだ、インフルエンザの感染拡大で皆がマスクを買い求め、販売店に不足状態なのだ。
メーカーも製造が追いついていない現状なんだ。


 早速、市内の薬局・薬店を回ったが売り切れで次回の納品も分からないとのこと。
理由を聞くと、前日から関西に親戚やこどもがいて、そちらに送るために買い占めるお客さんが多かったそうだ。
ボクも、同じ理由で買い求めに来たのでよく分かる気持ちである。


 しかし、こんなに素早くなくなるなんて・・・・

 少しの希望を持って、出向いた店があった。
そう、100円ショップである。
 もしかしたら、ここでマスクが売られていることは意外と知られていないかもしれないと思ったからだ。

 考えが甘かった。


 さすが、皆さん。
よくご存じである。
100円ショップもすでに完売で、次回の納品も未定だという。


 妹に電話をすると、宇和島でも欠品状態であったが、自宅の買い置き分が多めにあるということだったので、送ってもらうよう依頼した。

 妹は、気持よく了解してくれた。
 「こんな時はお互い様だから。」
 何ともありがたいやら。。。

 
 我が妹ながら、優しくいてくれたことを嬉しく思った。


 最近よく考える。
 本当の優しさって何だろう。


2009年5月21日 19:43


新型インフルエンザ

 あらゆるマスコミで新型インフルエンザの感染者拡大が報道されている。

 弱毒性と言われ、感染しても生命への影響は少ないと言われているが、社会的影響は大きい。
 やはり、ひとりひとりが「うがい」と「手洗い」をきちんと行い、自身の感染を予防し、マスクの使用を通じて感染の拡大を予防するしかないと思われる。


 「新型」と聞くと、新しく出現したものという印象を受ける。
 しかし、「無」から「有」が生じることはない。
 既存の何かが変化して、今までにないものとなることであり、その様態の中には旧型の情報が必ずそこに存在するのである。


 事の良し悪しは別としても「温故知新」のことばがあるように、旧型をよくよく観察する目を養いたい。
そして新型と向き合うと思わぬ収穫があると考える。

 皆さんはどう思われますか?


2009年5月19日 11:03


時間

 「時間の経つのが速い」
 そう感じることがありますよね。

 日により、気分により、年齢により、それぞれ感じる時とか、感じ方が異なることは誰もが経験しているだろう。


 ボクも、若い時の方が時の経つのが速かった。
気分の良い時、楽しい時も速く感じる。


 時間そのものは絶対値である。
人が感じる「速い」とか「遅い」というのは、その人のみが感じる相対的なものである。
だから、同じ場所で、同じ事をしていても、その楽しさや体力、年齢などの諸条件で、同じ1時間でも同じ時間が経過したとは思わないものである。


 ここで、脳科学の情報を踏まえると、脳内の神経回路の中で、シナプスと呼ばれる神経の伝達路が、若い時は多い。故にたくさんの情報を処理することができる。経年的変化で高齢になるとそのシナプスがたくさん減少する。故に情報処理量がずいぶん低下する。

 
 簡単に言うと、同じ1時間でもその間にできることが多い脳内状況の人は時間が経つのが速く感じる傾向にあるということが言えるのだ。


 でも、何もかも若い方が良いとは限らない。
 人は経験することにより、課題を乗り越えることにより、たくさんのことを学ぶ。
学んだものをどのように活かすか。
そして、若い世代にどのように伝え残すか。
それも、若い時には考えもしないことであり、できないことだ。


2009年5月11日 19:56


休日

 ゴールデンウィークも終わり、皆さん職場で汗を流していることでしょう。

 休日、特に連休は働く者にとって、とても楽しみです。
 特に独身のものにとってはね。。。


 ボクが、社会人になって初めて勤めた病院のことです。
 当時、社会的に土曜日は午前のみ勤務、日曜・祝日は休み、というのが普通でした。

 詳しく、勤務状況を把握せずに勤務したボクの認識不足ではあったのですが・・・

 勤務して初めて迎えた土曜日の昼のこと。
 ある看護師に聞かれました。
「先生、明日は何するんですか」と聞かれ、
「そうだなあ、今日はこれから帰って、洗濯して、掃除して、明日はどっか散策してみようかなあ」
 そう答えると、
「先生、今日は6時まで勤務ですよ。知らなかったんですか」
「えっ」

 看護師のことばにボクは、戸惑ってしまいました。


 それから、次の職場でも、土曜日も半日で帰ることはできませんでした。
 平日、一日かかって治療している患者さんの人数を、半日でこなすことは不可能です。
故に、土曜日も夕方までかかることになっていたのです。


 今でこそ懐かしく思いますが、連休の旅行ラッシュの混雑をニュースで見ると、旅行は行きたくなくなります。
 休日は、ゆっくりしたい。

 皆さんも心の中ではそう思っていることでしょう。
でも、その日でなければできないこともあるのも事実だから、やむを得ず、混雑していようが、疲れようがしなければならないと思って頑張っている方も多くいらっしゃるのだと思います。


 これからの休日も、心身共に休養がとれる一日であって欲しいと願っています。


2009年5月 7日 14:24


外来シロアリ

 「外来種のアメリカカンザイシロアリによる住宅の食害が日本にひろがりつつある」という記事を見た。


 アメリカカンザイシロアリは、北米大陸原産で体長は1センチメートル前後であるそうだ。
在来種の「ヤマトシロアリ」などと違い 建物の内部に散在し 駆除が困難であり、 近隣に被害が拡大しやすいという特徴があるそうである。
 日本しろあり対策協会によると 1976年に東京都内で最初に発見され、2000年以降には報告例が急増し、現在では宮城から沖縄まで24都府県に上るという。
 在来種のヤマトシロアリやイエシロアリは、湿気を好み、床下など建物の低い部分を集中的に食害するので薬剤による駆除が比較的簡単だが、アメリカカンザイシロアリは、乾燥に強く、餌となる木材の中に分散しているため発見も駆除も難しいという。


 外来種は、日本古来の在来種にくらべ、生命力が強く、繁殖力もあり、在来種の絶滅を招く危険さえ持っている。
その逞しさはどこからくるのか・・・

 人間も、日本人よりも熱帯地方の人間の方が、多産であり、生命力が強そうである。

 さて、生命力の源はどこにあるのだろう。。。


2009年5月 4日 19:30


豚インフルエンザ

 世界保健機関WHOにより、警戒度がPHASE5に変更されたとという報道発表があった。
インフルエンザの名称も「豚インフルエンザ」から「H1N1 A型インフルエンザ」に変更された。
これは世界的大流行の一歩手前を意味する段階である。


 インフルエンザウィルス恐るべし。


 生物界の頂点に立つと言われた人間が、たった一つのウィルスにその存在を脅かされるのである。


 人間の持つおごりは、自身の首を絞めることになる。
 ひとりひとりに置き換えても同じ原理が当てはまる。

 本当の優しさ、本当の強さと向き合うことの必要性を改めて感じる。


 


2009年5月 1日 16:19


病は気から

 「病は気から」
 よく口にする人もいるし、よく聞くことばですよね。


 本来の意味は、
 漢方で言うところの「気」の過不足や滞りにより、病が起こると言うものです。
精神面で言う「気分」「気持ち」を表している訳ではありません。
しかし、東洋医学では、肉体だけではなく、その精神状態にまで踏み込んで診断・治療を行う医学体系をもっているので、そう言う意味では、「気分」や「気持ち」も含まれると考えて良いと思います。


 実際に、精神状態やその人の生き方が病状を大きく左右することは皆が認めるところです。


 前向きな生き方は、生命力を高めます。
 笑いは病気の治癒力を高めます。


 ただ、前向きに生きる方が良いと分かっていても、笑うことが大切であることが分かっていても、簡単にできない人も多いのも事実です。
 誰もが強い訳ではありません。


 「本当の強さ」って、「本当の優しさ」って
皆さん何だと思いますか。。。
 考えてみてください。
簡単に結論が出ることではないのは、ボク自身も同じです。


2009年4月27日 11:38


ストレス

 「健康」のために環境は無視できません。

 言い換えれば、自身と環境は切っても切れない関係なのです。


 「健康に悪い影響を与えるもの」な?んだ。

 「ストレス」と答える人も多いでしょう。

 このストレスとは、外界から自身に与える刺激です。
もちろん、精神面と肉体面へのストレスがありますが、結果は両方に影響を与えることになります。

 ただ、ストレスが悪いものだとは言えません。
そのストレスを上手に活かすと、「兆戦」という活動となり、結果自信がついたり、丈夫な心身の育成になったりします。

 
 健康に関心のない人って皆無に近いと思います。
健康だからこそいろいろなことに取り組むことができるのですからね。


2009年4月23日 18:48


狂犬病

 狂犬病予防法では、生後91日以上の犬の飼い主に年1回の予防注射を義務付けている。
 狂犬病は、狂犬病ウィルスによる人と動物の共通感染症で、人が発症した場合 100%死亡する。
 八幡浜市では、登録料3000円、注射料2850円となっている。

 しかし、その実施状況が問題となっている。
 昨年度は、登録1965頭に対し、実施は1319頭であったようだ。


 狂犬病という病を聞くことがほとんどなくなってきた現代であるが、その病の重症度を考えれば決して見過ごしてはならない。


 ペットを飼うことの意味はそれぞれにあるだろう。
その必要性もよく分かる。
 ただ、飼い主のしつけの問題がニュースになるほど、ペット、飼い主のマナーは良くない。

 ペットを飼う以上、飼い主の責任も果たすべきである。
狂犬病の予防注射の100%の実施を望みたい。


2009年4月20日 17:55


交通事故

 交通事故による人身事故が多い。
 その事故も問題であるが、その解決に向けた取り組みにも多くの問題がある。


 事故の状況を振り返るとき、自身に都合の良いように状況証拠を集めて戦おうとする。
加害者側は特に、保険会社と共にその策に力を入れる。

 それは、過去に保険金目的の被害者の対応があったことが大きく影響している。


 正直に状況を語り、素直に謝罪することができれば、一番良いことだと思う。
しかし、そう言ってみても、損はしたくない。不利な状況は作りたくない。
それが人間の常である。


 ただ、国が変わろうが、時代が変わろうが、変わってはいけないことがある。
変えてはいけないことがある。
 みなさん、そう思いませんか。


2009年4月16日 18:36


肺結核

 芸能界のひとりのタレントさんが「肺結核」に罹ったというニュースが流れた。

 「えっ、今の時代に?」と考える人が多いのも頷けるが・・・


 しかし「多剤耐性結核菌による肺結核」が静かに続いていることを知っている医療従事者が多いのも事実である。


 この差は何なのか。
 それは、専門家と一般の認識のずれである。


 医療に限ったことではない。
 何事においても、一般の人と専門家の人の間には認識のずれは必ずあるものである。
そのずれを支障のない程度に修正するにはどうすれば良いか。

 ボクにも明確な答えがある訳ではない。

 とりあえず、今、ボクは知ったかぶりせず、謙虚に耳を傾ける努力を続けようと努力している段階である。


2009年4月 9日 10:55


相田みつをさん

 我が友が、「相田みつを」さんの詩を気に入ってよく口にしていた。
そのひとつが次のものである。

 
 「一生勉強 一生青春」


 彼は、ボクに比べ、逞しく、そしてあたたかい。
人間的にも、男としてもとても魅力的だ。

 そんな彼が口にしていた「相田みつを」と言う人がいつの頃か気になり、ボクも親しむようになった。

 彼は肩書きも何もない「相田みつを」と書かれただけの名刺を使っていたのだと言う。


 直接会ったことはないし、もうお会いすることもできないのだが・・・
とても魅力的なひとだったのだろうと想像する。


 相田みつをさんの詩の中で、ボクが好きになった作品があったので、紹介してみたい。


  そんとくが
  人間のものさし
  うそか
  まことか
  佛さまの
  ものさし
       みつを


2009年4月 6日 15:24



 ボクは植物に関心が薄く、よく分からない。

 女性には草花を育てている人が多い。
我が家の近隣にも多くの人が育てている。
咲いた花を見たら、きれいだとは思う。

 しかし、自身で育ててみようとは思わない。
友人に話しても、男性には少ないようだ。


 女性は、自身の母体で我が子を育てる機能を生まれ持っている。
このことと何らかの関係があると、ボクは考えているが、定かではない。


 さて、桜と言ってボクが連想することばに、「桜梅桃李(おうばいとうり」というものがある。
中国のことばだそうだ。

 意味は、「桜も梅も桃も李も、すべて同じような時期に花を咲かせる。しかし、桜が一番で、梅は二番だというように順列はつけない。好みの順列はあるだろうが。それぞれの良さがある。それを人間の個性に当てはめて言ったことばだそうだ。あなたでなければならない良さがあるんだよ。」

 ずいぶん以前に、このことばと共に激励を受けたことがあった。
ずいぶん救われた。


 ボクでなければならない、何かを成し遂げたいなと思う日々である。


2009年4月 2日 18:56



 人間はどうして夢を見るのか。

 まだまだ、謎の多い現象である。

 肉体的な疲労、心身のストレス、日常の感情の動きなどなど、
夢に影響する条件はたくさんあるようだ。


 人間誰しも、気持ちの良い夢を見たいものだが、そう都合よく見ることができないのが残念である。

 ドラえもんの四次元ポケットのように、何でも本当に出せるのなら、都合の良い夢を見る装置も用意できるかもしれない。
 しかし、世の中そんなに甘くはない。


 見た夢が現実になる。
 それも恐ろしいと思う。


2009年3月30日 23:01


お金と健康

 「世の中、金や・・・・!」と豪語する人がいる。
 そう言う人には懸命に努力して、その富を築いた人が多い。
もちろん偶然に、宝くじに当たって富を得たような人もいるが・・・

 
 確かにこの世の経済はお金で動いている。
 すべての売買にお金が使われているのは確かである。
ほとんどのものがお金を出せば購入できるのももっともだろう。

 でも、本当にお金で何でも買えるのだろうか。


 過去に 
 「お金で買えないものはない。」と言った人に、
 「お金で買えないものもある。」と主張したことがあった。

 「何があるか言ってみろ。」と言う彼に、
 「友情とか愛とか、信頼とか、そう言う心の問題がある。」と答えたボクに、

 彼はすぐに切り返してこう言った。
 「それは、貧しいもののひがみだ。そういうことを言う人間に限って、お金の本当の価値が分かっていないんだ。そういう心に関するものだってお金で買えるんだよ。」


 その時のボクは、それに対して何も言い返せなかった。


 本当に何でもお金で買えるのだろうか。
 よく自問自答する。


 長い間、思索を重ねてたどり着いたひとつの結論が今はある。

 
 やっぱり
 健康はお金では買えない。
 いのちもお金では買えない。


 本当に大切なものはお金では買えないし、また、お金を出して買おうとも思わないのではないだろうか。


2009年3月26日 20:18


一所懸命

 ずいぶん以前になるが、ことばの間違いを指摘されたことがあった。
 それが、タイトルの「一所懸命」である。

 ボクは以前「一生懸命」だと思っていた。
意味を考えても矛盾はしない。

 しかし、そのことばの由来と意味を考えると、やはり「一所懸命」が正しい。

 こんな話はたくさんある。
 皆さんも経験があるだろう。

 専門家は一所懸命に学んで知識や技術を習得している。
そのためにたくさんの時間とお金とがかかっているものだ。


 良くないのは知ったかぶりである。
それはボクも経験があるが、後で必ず損をするものだ。

 知らないことは知らないで良い。
素直に教えを請えば良いのである。
 ただ、そこに見栄があって、素直になりにくいのが人間の常であろう。


 一所懸命生きている人は素直である。
 そして、正直である。

 ただ、本当に一所懸命なのか疑問の人も中にはいる。

 疑問の人とは・・・
見た目は一所懸命だが、人を騙したり、裏切ったり、利用したりと・・・
そこに意図するものが必ずあるものだ。


 一所懸命に生きている人が、その生き方が、報われることが一番良い。
そうすれば、もっと社会が豊かになる。

 報われると人はもっと優しくなれる。
 そう思いませんか。


2009年3月23日 19:04


法律

 人は、日々単調な生活を営んでいるようでも、さまざまな悩みや問題を抱えているものだ。

 どんなに豊かな生活をしているようでも、悩みのない人間はいない。
否、むしろ財産があればあるほど悩みも増えるのかもしれない。

 そう考えると、貧乏も悪くないのかもしれない。


 人間社会2人以上いれば、互いの意見の違いでもめごとが必ず生じる。
 法律はそう事例をどう判断して処理すればよいのか、ひとつの基準となる。

 しかし、法律は人間が作ったものであり、運用するのも人間である。
故に、国が違えば法律も違う。
時代と共に修正・改正されるものも決してすくなくない。


 ボクは思う。
 どんなに立派な法律を作ろうとも、それを運用するのも人間である以上、自身に都合よく解釈し、都合よく運用しようとするだろう。


 以前に、ある弁護士の振る舞いに唖然としたことがあった。

 ある依頼人の弁護をしている時にひとつの主張をしていた。
その後、立場が逆の依頼人の弁護をする時に、依然と逆の主張をしたのである。
「弁護士は依頼人の利益を守る」とは聞いていたが、これほどはっきり主張を翻すさまを見ると、法律が信じられなくなりそうになった。


 「法の前に人がいる。法の中にも人がいる。そして、法の後にも人がいる。」


 私の所感である。


2009年3月19日 14:19



 もう春ですね。
 皆さんは、「春」と言われて、何をイメージしますか?

 きっと、すてきな「もの」や「事柄」をイメージしているでしょうね。

 ボクにとって「春」は、「試練」なんですよね。
 昭和57年3月22日、ひとつの出逢いがありました。
ボクの人生を根底から変えるような出逢いでした。

 
 社会生活を送っている以上、様々な人との出逢いがあります。
その中で、そのような出逢いは決して多くはありません。

 今までどんな些細な出逢いをも大切にする努力をしてきました。
 人は決してひとりでは生きていけないことを身をもって知ったからです。


 春は、別れと出会いの多い季節です。

 そのひとつひとつに意味があります。
それを大切にしたいと思います。

 皆さんも大切にして欲しいと願っています。


2009年3月12日 19:29


ヴァイオリズム

 現在、睡眠障害に悩む人がずいぶん増えている。
 生活様式が多様化し、生活リズムが乱れやすい環境があるからだとも言えるが、そればかりではない。


 生物は、皆固有の生体リズムを持っている。
人間も例外ではない。

 そのリズムを乱す原因の多くは、生活パターンだとも言える。
 朝出勤の日もあれば、夕方から出勤の日もある、というような職場に勤めている場合だ。


 入院病棟担当の看護師などは、3交代の勤務が割り当てられる。
日勤、準夜勤、深夜勤の3つの勤務を順繰りに交替で勤めるのだ。
見ていて大変だなと感じる。
 若い時には十分に勤まるが、年齢を重ねると体がついていかないと言う。
疲れやすくなるし、その疲れが取れにくくなるというのだ。
 当然だと思う。


 そんな人たちがいてくれるから、病気になっても安心して入院生活が送れるのだと考えると、ありがたい存在だと改めて思う。


 睡眠障害のひとつに「入眠障害」があげられる。簡単に言うと寝つきが悪くなる状態だ。
 その原因として、コンビニの存在があげられる。

 コンビニエンスストアの店内の照明は、日中の明るさに相当する。
店内の照明に当たるだけで、体は昼間だと認識してしまうのだ。
だから寝つきが悪くなる。

 同じようなことが、パソコンや、携帯電話のディスプレイの照明である。
これもコンビニの照明と同じく、寝つきの妨げとなる。


 すがすがしい朝を迎えるためには、「気持ちよく寝られたな」と言えるかどうかだと思う。
 規則正しい生活が、健康の柱だといくら言われても、なかなか実行に移しにくい環境にいる現代である。

 健康でいるためには、いろいろと考えなければならないことも多い。
 


2009年3月 9日 15:34


「笑う」ということ

 「笑う」という現象、表情の分析などと言っていると、この記事を読む気にはならないだろう。


 「笑う」ということが健康に良いことは前回お話した通りであるが、笑い方にもいろいろある。
先日、こんな質問を受けた。

 「笑うことが健康に良いことは聞いて知っていたが、人を見下すように笑われることがあった。その人の笑いにも健康の効果があるのだろうか。」というものであった。

 皆さんはどう思われますか。

 「嘲笑」という笑いのことである。
人を馬鹿にして笑うことを言うが、表情は笑顔である。
しかし、その心は決して健全なものではない。

 科学的には笑顔と、その時の血液中のリンパ球の濃度の間には一定の関係があることが証明されている。
故に「作り笑い」であろうが、「営業スマイル」であろうが、その表情を作ることにはひとつの意味があることは確かである。
故に、嘲笑にも健康効果があることは推定される。
 
 しかし、決してそれが良いものであるとは認めがたい。


 健康とは「病気にならないこと」でもなければ、「老いることがない」というものでもない。

 「喜とは自他ともに喜ぶことなり」という一節がある。
 心から喜ぶ想いから出た笑顔、笑いであることが、最も尊いことなのではないだろうか。


2009年3月 5日 16:23


健康と笑い

 笑うことは健康に良い。

 誰もが納得することであろう。

 確かにその通りなのだが、いくら健康に良いと分かっていても、「笑いなさい」と言われて、「はい」と言う訳にはいかない。


 年を重ねる毎に笑う回数が減り、笑い方も小さくなる傾向にある。
おなかが痛くなるほど笑うことがあるだろうか。

 ボクは心の底から笑える機会がずいぶん減ったと感じている。
決して不幸な訳ではない。
しかし、笑う機会が減っている。

 笑いの健康効果についてはずいぶん研究が進んでいる。
免疫力の向上は目を引く効果である。
ダイエットにも良い。
 この話で飛びつく人もいるだろう。

 
 毎日鏡を見ながら、「ニコッ」と微笑んでみる。
唇を横に引っ張るようにすることでも、笑顔を作れる。
とりあえず、作り笑いでも良いから、そこから始めてみるのも良い。


 時に、魅力的な笑顔の人に出会うことがある。
 逆に、笑顔を見たことがないという人もいる。

 それぞれどんな人生を歩んできたのかは知らないが、生きてきた人生の縮図が顔にあるのだとも言えるだろう。

 声を出して笑うことだけが、笑いではない。
「微笑」と言う表現がある。分かりやすく言うと「ほほえむ」ということである。


 ボクの好きな詩に次の作品がある。
笑顔に込められた想いが溢れている作品なので紹介したい。

 平凡でもいい
 私はいつも
 春風の笑顔を はつらつとかがやかせたい
 月光と語らいながら 知性を深めたい
 白雪のごとき
 清らかに光る人でありたい


 自然に笑顔がこぼれる人。
 笑顔で周囲の人にその笑顔を分けてあげられる人。
 ボクはそんな人にとても憧れる。
 ボクにはまだまだ到達できない境涯だから。。。
 


2009年3月 2日 17:08


花粉症

 先日、「花粉症セミナー」の依頼を受けて、講師を務めました。
あくまでヴォランティアとしての依頼だったので、収入には結びつかなかったけど、集った皆さんのお役に立てて良かったと思いました。


 「花粉症」の罹患率は急速に増えているように思われます。


 今回は花粉症の説明は省いて、ちょっと視点を変えてお話してみようと思います。


 それでは何を話すのか、実はセミナーで一人の女性から質問というか意見がありました。
それは次のようなものでした。
「本当に花粉症で困ります。花粉さえなかったらこんな辛い思いはしないのに・・・ 花粉が恨めしいです。」


 なるほどごもっともな発言だと思いました。
 辛い気持も十分に伝わってきました。


 ただ一方でボクはこんなことを思ったりもしていました。
 杉を例に挙げて述べてみます。


 杉も人間に害を及ぼそうとして花粉を飛ばしているのではありません。子孫を残そうと必死なのです。生物界すべて生存競争と言うことになります。
 第2次世界大戦の間、必要に迫られて木がたくさん切られました。戦後も、空襲で焼けた家の再建やまき、炭などの燃料として使われました。このため、裸のようになった山々で、まっすぐにのび、軽く、加工し易いという理由で杉の植林が始まったのです。
 さらに、1960から70年代にかけては建築ブームがおきて、材木が不足したのです。この時、国有林の木をたくさん切って、安く売り、値段を下げるという施策を国が行いました。そして伐採した後に杉を植林していったのです。民間も国の施策に続き、一斉に杉の植林を進めました。


 言い換えれば、杉も人間の手によって、悲しい運命を辿ることになったのです。


 杉に罪があるのではないとボクは考えますが、皆さんは如何でしょう。


 今人間は、花粉の飛ばない杉の植林を進めようとしています。
人間に当てはめれば、不妊手術を行うということです。
それが根付くと、杉花粉による花粉症はなくなるかもしれません。
しかし、杉がこの世から姿を消す可能性の扉を開くことにもなりかねません。
それで良いのでしょうか。問題の解決になるのでしょうか。


 悪いと決めつける前に、人間自身がもっと賢くならなければならないのではないでしょうか。
生物界の多様性を認めつつ、多様種が共存できる世界が本当に豊かな世界と言えるのだと思います。


 皆さんも考えてみてください。
自分と同じ人間ばかりの世界ってどう思いますか。
そんな世界に住みたいと思いますか。


 ボクは絶対に嫌です。
決して自分が嫌いな訳ではありませんが、自分以外の人と交流のあるこの世界がやっぱり好きです。


2009年2月26日 19:34


コンビニ受診

 24時間オープンのコンビニエンスストアの存在が今や当たり前になった。

 ボクは出張で、宿泊するホテルの予約をする時に、必ずコンビニの有無をホテルに確認している。
購入するものは、ペットボトルのお茶が多いのだが、いろいろと必要なものが買えるのでよく利用している。

 今やコンビニに置いてないものはないと言われるほどあらゆるものが揃っている。
本当に便利である。


 但し、病院の「コンビニ受診」は、救急医療体制の崩壊を招くほど大きな問題であることを国民一人一人が知って、理解する必要がある。

 ずいぶん以前のことだが、当時勤務していた病院で、年末年始の夜間、医師の診療に係わったことがあった。
 1月1日午前2時。
 初詣帰りの婦人が診察を受けに訪れた。
その婦人の後、他にも数名待っている状態だった。
婦人はかぜをひいた様子で、症状を医師に告げた。
医師は、「胸の音を聞きますから着物の前を開けてください。」と婦人に告げた。
婦人は帯を解き、着物を脱ぎ、椅子に座りなおした。
医師が聴診器で胸の音を聞き、着物を着るよう伝えた。
「いつから症状があったの。」
医師の質問に、着物を着ながら婦人が答えた。
「ええ、一週間位前からです。」
「どうして診察を受けにきたのが今夜なのですか。」
「ちょうど初詣の帰りで、ちょっと診てもらおうかと思って・・・」

 横にいたボクは開いた口が閉まらなくなった。

 その婦人の所作がとてもゆっくりで医師を苛立たせていた。
着物を着て、帯を締めてと、とても時間がかかっていたのだ。
待合には次の患者さんが待っていることなどその婦人はお構いなしで、身づくろいを整えて診察室を出て行った。


 確かに、いつでも、どこでも、誰でも、平等に医療を受けることができることは素晴らしいことだ。
しかし、医療は品物を売買するようなサービスの提供と同等には扱えない部分が多い。
本当に必要な人、緊急を要する人がその医療を受けられないとしたらどうなるだろう。

 必要な人が、必要な時に受けられる医療体制を維持するためには、国民一人一人の意識の向上が不可欠である。


2009年2月19日 22:40


抗生物質

 病気になったら、よく処方されていた薬に「抗生物質」があります。
でも、最近は処方がとても控えられるようになりました。どうしてでしょう。
皆さん、考えてみたことありますか。


 そんな訳で、今回は「抗生物質」について少し考えてみたいと思います。

 というのも今日、2月12日は「ペニシリン記念日」だからです。
 1941(昭和16)年のこの日、イギリスのオックスフォード大学付属病院で、世界で初めてペニシリンの臨床実験に成功したのだそうです。
 ペニシリンは、世界で最初に実用化された抗生物質であり、「日本人が広くその存在を知ったのは、1944(昭和19)年1月の『肺炎を起こしたイギリスのチャーチル首相がペニシリンで命を救われた』という内容の新聞記事だった」ということをニュースで知りました。

 
 おそらく現存している細菌に対して、ペニシリンが効くのはごく一部なのではないでしょうか。
それほど細菌も薬に対して強くなっているのです。これを「耐性を持つ」とか「耐性を獲得する」と言います。


 人間も運動量に負荷をかけて運動を行うと、それまでの運動量では「しんどい」とは感じなくなるでしょう。
 

 細菌も実に賢いのです。
 抗生物質で死滅にまで追い込まれると、問題にはなりません。
しかし、「もうだいぶん良くなったから薬も飲まなくて良いな」という医師の指示を守らない行動が、そしてそんな中途半端な薬の飲み方が繰り返された中で、細菌も抗生物質への耐性を獲得するようになったのです。
細菌も死にたくないと考えているのです。生きようとしているのです。


 医療の現場では、日々感染症への対策、特に院内感染にはずいぶん気を配っています。
どんなに気を付けていても、抗生物質の効かない細菌が次々と現れるのですから、正直お手上げ?とも考えたくなるような現状ですが、そんな悲観的では治療技術は進歩しません。


 細菌に対して、最後の砦と言われた抗生物質の「ヴァンコマイシン」が効かない細菌が出現しました。
 ヴァンコマイシン耐性腸球菌(VRE)やヴァンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌(VRSA)の出現で、医師や看護師たちが治療や対応に苦慮している現状です。


 タミフル耐性インフルエンザウィルスも同じです。


 病原性微生物と人間の闘いは、いつまで、どこまで続くのか。。。


 健康を手にすることは簡単ではありません。
そして、手に入れた健康の維持には、またそれ以上の努力が必要になるのでしょうね。


2009年2月12日 16:02


「みる」ことの大切さ

 患者さんを診察することを「患者さんをみる」と言いますよね。


 診察法の中で「見る」診察法があります。
東洋医学では「望診」と言い、西洋医学では「視診」と言います。
どちらも似ていますが、見方というか見る視点というか・・・が異なります。
 まあ、詳細は省くとして。。。 


 なぜ今回「みる」とひらがな表記をしたのか。
ある知人がこんなことを言いました。
「私は、見なければいけないものが見えず、見んでもよいものが見えてしまう。」と。。。
 ボクは「ハッ」としたものです。
「ボクだって同じだ。。。」


 「みる」の漢字を表記した場合、いくつかあります。


 広辞苑を引くと
 「見る」「観る」「視る」は同じ意味で用いられると書いてあります。
ただし、使い分けとして、一般には「見る」を使い、調査などのみるは「視る」を、病人の診察をするみるは「診る」を、看病するみるは「看る」を使うと書いてあります。


 ボクは、このように考えています。
「見る」は、視覚的に「見る」もしくは「見える」状態であり、「観る」は、そこにみる者の意思が込められたものであると。


 英語でも、「見る」と「観る」の違いがあるようです。
「見る」は「see」で、「観る」は「look at」と表現します。

 ボクが社会人になって、様々な人と出会い、様々な人から学び、今のボクがあります。
目標となった人、教えを請うた人、厳しく指導をしてくれた人、その人たちのおかげです。


 みる目を養うことはもちろん大切です。
しかし、その大切さを感じる機会、知る機会を持つこと無くして、育つものではありません。


 病気になった時、隣の人の何をみるのか。
隣の人がどのようにみえるのか。


 それは、健康な今、相手の何をみているのか。
相手がどのようにみえているのか。
 それがひとつの指標になると考えますが、皆さんは如何お考えでしょうか。


2009年2月 9日 12:35


インフルエンザ

 むかし・・・、と言ってもボクがこどもの頃のこと。
「流行りかぜ」とか「流行性感冒」ということばをよく耳にした。

 今で言う、インフルエンザであったのだろうと思われる。

 インフルエンザもウィルスという微生物が活動している証である。
その活動に人間が負けて発症すると考えると、ボク自身は理解し易い。


 その治療薬として、「タミフル」と「リレンザ」があげられるが、「タミフル」に対する耐性ウィルスの出現により、希望は「リレンザ」のみとなった。このリレンザは吸入薬であるため、幼少の世代にものには使いづらさがあるため、新しい薬の開発が急がれる。


 国民としては、予防に努力する必要がある。

 身近なところから、「手洗い」と「うがい」が必要だ。
 うがいにも、「口うがい」と「喉うがい」がある。
口うがいとは、少量の水を含んで、口の中を「ぶくぶく」とすすぐように行うことから、「ぶくぶくうがい」とも言われる。
喉うがいとは、通常皆さんが行っている、少し上を向いて「がらがら」と喉をすすぐ行い方で、「がらがらうがい」とも言われる。

 うがいの行い方は、まず、「ぶくぶくうがい」を行ってから、「がらがらうがい」を行うことが大切である。
 

 歯の健康のために、歯石・歯垢の除去を行うことが大切であると言われる。
 この歯石・歯垢の除去が、インフルエンザの予防にもつながるのである。
ぜひ2?3か月に一度、歯科医に診てもらう習慣をつけると良いと考えるが、皆さんは如何お考えでしょうか。


2009年2月 3日 13:06


「先生」って?

 夜の街に出かけるようになって久しい。
 自分なりの基準でお店をセレクトし、お店に入る。気に入った店には自然と足繁く通うようになるものだ。そして常連さんになると、独自の愛称で呼ばれるようになる。お気に入りの娘に親しげに呼ばれると嬉しくなり、更に通う足運びが軽やかになるものである。


さて こんな話が「健康」とどんな関係があるのか。

 夜の街では「先生」と「社長」がやたら多い。
 以前に通っていた店で「先生」と呼ばれていた頃の話。
 「先生」と呼ばれたので「何?」と返事をすると、ボクにではなく隣の客にかけられたものだったのでとても恥ずかしい思いをしたものだ。


 最近では ある一定の基準で区分けされて呼ばれるようになったと知人から聞いた。
細身だと「先生」で、ふっくらしていると「社長」になるそうである。

 はて「なぜなのか」
その解答は皆さんのご想像にお任せするとして‥‥‥


 昨年 4月から「特定健康診査・特定保健指導」が始まった。
40歳以上の皆さんが対象となっている。

 故に ふっくら ぽっちゃりの方にとっては耳が痛い制度である。
「面倒くさい」「ほっといてくれ」などなど、この制度に対する批判も耳にする。


 お気に入りの娘に「先生」 「社長」と呼ばれて嬉しくなる気持ちはよく分かる。
体型は健康のバロメーターとして大切なポイントである。
 肥満には確かに問題が多い。
ただ逆に細ければ良いというものでもない。


 「健康は資本」である。
 健康でなければ、やりたいこともできない。


 皆さんにも自分の取り組みたいこと、叶えたい夢があるはずである。
その実現のためにも、まずできることを、少しずつで良いから始めてみませんか。


 そんな目標というか、指標となるような「先」を「生きている人」を「先生」と言うのではないだろうか。
ボクはそう思っている。


2009年1月28日 23:23


「未病」って?

 最近、マスコミのCMで「未病」と言うことばをよく見聞きしませんか。
先日の新聞紙上に、養命酒造株式会社の未病に対する調査結果の一部が紹介されていました。
「女性の84.8%が 自分が未病であると感じている」というものでした。


 女性の方が多いのか、女性の方が気づき易いのか、今のボクには定かではありませんが、結果は結果として、大切な調査内容だったようですね。


 「健康」とは?
 「病気」とは?
 「虚弱」とは?
 「障害」とは?
 「元気」とは?


 改めて考えると非常に答え難い言葉ばかりだと思います。
 「そんな難しいこと、別にどうだっていいじゃない」とお気楽に済ませたって、知らなくたって、生きていけます。
知ったからと言って、儲かる訳でも、何か得をする訳でも、不老長寿になる訳でもありません。


 ただ、考えると世界観が広がります。
 知ると知った分だけ、心が、そして生活が豊かになります。


 前回の日記に、世界保健機関(WHO)に「健康の定義」が示されていることをお話しました。
「未病」を考える上でまず必要なことは、「健康とはどういう状態のことか」に対する答えが必要だからです。

 WHOの定義を記してみます。
「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」(昭和26年官報掲載の訳:健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。)

 
 この定義から未病とは、「まだ発病・発症していないが、心身の機能において自覚できていない不調が存在している状態」であると、ボクは考えます。
 睡眠不足も、睡眠をとって回復する状態なら、健康と考えて良いでしょう。
でも、「寝ても疲れが取れない」「すっきりしない」という状態が残れば、これは「未病」と考えるべきです。
 食事は食べるけど、美味しいと感じない。これも立派に「未病」です。
ただし、出された料理がまずい場合は、未病ではありません。。。


 「毎朝、きまってくしゃみが出るのよね」 これは「未病」と考えることもできますが、すでに「アレルギー性鼻炎」などの病気になっている可能性があることを知っておいてください。
 「最近急に痩せたな」とか「最近急に肥ったな」などの急激な体重の変化は重要な点です。これは未病ではなく、何らかの病気のサインと見るべき要素を持っています。


 この様に考えると「未病」と「病気」の境界が分かり難くなります。
 「健康」と「未病」の境界は、それ以上に微妙な関係です。


 でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
 病気と事故は違います。
 

 病気は、必ずと言っていいほど「前駆症状」と言われる「前兆(まえぶれ)」が起こっています。
 「あれっ」と思ったり、感じたりした症状があった時は、その日時と症状を必ずメモしておきましょう。
その習慣が自身のいのちを救うことになることも多いのですから。。。


 平成10年のWHO執行理事会(総会の下部機関)において、WHO憲章全体の見直し作業が行われました。その中で「健康の定義」の修正も議論の対象になりました。現時点では、以下に記す定義が採択・発効されている訳ではありませんが、参考までに記しておきます。
「Health is a dynamic state of  complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」(予定される和訳:健康とは、完全な肉体的(physical)、精神的(mental)、Spiritual及び社会的(social)福祉のDynamicな状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。)


2009年1月23日 14:21


ウィルス

 ウィルスは、生物か? 無生物か?

 
 子どもの頃、生物の授業で先生が話をしていたことが思い出される。

 ウィルスは最小生物である。
 今、インフルエンザウィルスが流行し始めている。
特効薬とされていた「タミフル」への耐性を持っているものも出現している。

 リレンザへの耐性は確認されていないのでまだ対処できると考えられるが、このリレンザへの耐性を持ったウィルスがいつ出現するか予測はできない。

 
 抗生物質で、すべてに有効であるとされていた「ヴァンコマイシン」にも、耐性菌が出現したのだから。。。


 生物の持つ生き抜こうとする生命力に改めて驚異を感じる。
  

 まだコンピュータを扱うことがなかった頃 「コンピュータ・ウィルス」ということばを聞いた時、「機械に感染する生物が存在するのか」と思ってしまった。
 様々な物質を食する細菌が存在するから、そんなイメージを持ってしまったのだ。。。
 金属やプラスティックを食する生物が存在していて、それがコンピュータの中に入り込む。そして浸食していく。

 どんな経路で感染するのだろう。
 どのような予防法や治療法(解決法)があるのだろう。


 今思えば笑えるような話であるが、ボクの中で「ウィルス」をひとつのデータと考えるような知識も見識もなかったのである。


 生物であるウィルスは、ひとつの生命体である。
人間を始め、他の生命体を宿主として生命の維持・繁殖を行って生き残ろうとしている。
 人間は、感染すると困るので戦う力を持とうとしている。
 「生物間戦争」と言えるだろうか。


 しかし、コンピュータ・ウィルスは人間がデータとして作り出したものであり、そこには悪意がある。


 「健康」とは、自身の問題だけではなく、社会にも求められるものである。
「健康な社会」である。
言いかえれば、「平和」であろう。


 国連教育科学文化機関(通称:ユネスコ)の憲章に次のように謳われている。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」


 社会の健康が個人の健康と不可分な存在であることは誰もが感じていることであろう。
しかし、病んでくると自分のことで精一杯になり、自分のことしか考えられなくなる傾向にある。
これが人間だ。


 コンピュータ・ウィルスもそんな社会を背景に作り出した人がいて、それを更に利用する人がいて、これだけ脅威的な存在になっているのだ。
 まさしく、社会が病んでいる証のひとつであろう。


 世界保健機関(WHO)の憲章には、「健康の定義」が示されている。
その中に、「well-being」という記載の表現がある。日本語に訳すると「安寧」となる。
安寧とは、「平和」と同じ意味を持っている。


 「社会の平和」と「個人の健康」の関係を今一度、ひとりひとりが考える機会を持って欲しいと願っている。


 なお、文中に出てきた、「国連教育科学文化機関(通称:ユネスコ)」と「世界保健機関(WHO)」は、国際連合の13ある専門機関のひとつである。


2009年1月20日 16:09


風邪

 インフルエンザの流行の兆しがあります。
 皆さま、十分気を付けてください。

 インフルエンザに万能と言われていた「タミフル(商品名)」への耐性のあるウィルスの出現も確認されていますので、注意が必要です。
 うがいと手洗いは基本です。外出から帰宅したら必ず行うようにしましょう。
 インフルエンザウィルスは、乾燥状態を好みます。エアコンによる暖房は乾燥しがちです。
加湿器を利用するか、他の方法で乾燥しすぎるのを予防するように心がけましょう。


 ところで、「風邪(かぜ)をひいた」と病院に行くことがあると思います。
「引くよりも、押した方が良いです。」なんて言う冗談はさておいて、なぜ「かぜ」を「風邪」と書くのでしょう。
皆さんは不思議に思いませんか。


 漢方では「気というものが全身をバランスよく巡っているからこそ元気なんです」と考えます。
 この気の中で、外から体に働きかける邪な気があります。これを「邪気」と言います。
この邪気の中で、現代に置き換えて考えると「原因がはっきりしない」性質の邪気を「風邪(ふうじゃ)」と言います。
この風邪(ふうじゃ)に冒された病状を当てはめたという訳です。


 だから、一般に言うところの「かぜ」は、「くしゃみ、鼻水、咳、発熱」に代表される呼吸器疾患ですが、風邪(かぜ)にはそれだけではなく、様々な病態が存在します。
 ちょっぴり極端な例を話すと、「ちゅうぶう」という病名を聞いた事ありませんか。以前は高齢者の方がよく使っていました。
現代で言えば「脳卒中」のことですが、「ちゅうぶう」とは「中風」と書き、風邪(ふうじゃ)に中(あた)ること、言い換えると、風邪(ふうじゃ)に臓腑が冒された状態を言います。
 難しいかな?


 急に寒くなりました。
 ボクは、懐も寒いです。

 
 健康な日々を送るために、皆様のお役に立てるよう頑張りますので、当サイトをよろしくお願いします。


2009年1月16日 17:56


高次脳機能障害

 今日は、松山市の「にぎたつ会館」という会場で、「高次脳機能障害リハビリテーション講習会」が行われました。
ボクも役員のひとりとして、準備・運営に頑張りました。

 人間の脳というものは、本当に不思議な臓器です。
すべての機能が脳を中心にネットワークが築かれていて、その仕組みで生きている。


 当り前のように朝、目が覚め、当たり前のように食事をして、排泄をする。

 どのような仕組みで目が覚めるのか、胃腸や心臓が動くのか。
そんなことをいちいち考える人はいないだろう。

 でも、確実に動いている。

 そんな不思議な生命の中心に存在する「脳」という臓器が、病気や外傷で失われる。
もちろん、すべてが失われると「死」ということになるが、一部の損傷で死ぬことはない。
しかし、重大な障害を背負うことになる。

 その障害は外見では判断できないものが多い。
一見すると、「サボっている」「だらしがない」「やる気がない」「性格が悪い」などと判断されかねないものだからだ。

 そう言う障害を背負う人たちが、家族とそれを支援する人たちと共に立ち上げたのが、「愛媛高次脳機能障害者を支援する会あい」である。

 
 日本損害保険協会の助成事業として、あいのメンバーを中心に実行委員会を設置して、準備・運営が行われ、今日無事、成功裡に終わった。
 約200人の参加があり、会場が予想以上に埋め尽くされた。

 
 途中に高次脳機能障害を抱えている男性の友人が東京から駆けつけてきて、ミニコンサートも併せて開催された。
その彼はシンガーソングライターとしてこつこつ活動を続けているそうであるが、友人の障害を思い、書いた曲もあり、その曲と歌声に皆が聞き入っていた。ジーンと胸に響く曲だった。


 ひとつのいのちと精一杯向き合って生きる人たちがいる。
 ひとつのいのちをふとした瞬間に粗末に扱う人もいる。


 今日の講習会を通してボクは、「ひとつひとつのいのちを抱きしめたい」と、そんな風に思った。 


2009年1月11日 20:40


七草粥

 今日は1月7日。  「人日の節供」である。
 人日は、江戸時代、幕府の公式行事となり、将軍以下が七草粥を食べて祝ったようである。

 現代、七草を知らない者も多い。

 そう言う私も、七草の名前は知っているものの、その植物をすべては知らない。

 ただ、この七草粥には健康面に多大な良い影響を持っているので、ぜひ食する習慣を持って欲しいと思っている。
 1.胃腸すっきり : 健胃効果、食欲増進
 2.むくみ解消 : 利尿作用
 3.リラクセーション効果 : 心の安定
 4.風邪の諸症状の改善 : 解熱、去痰、咳止めなど
 5.二日酔いの解消 : 肝臓の回復効果
 6.ビタミン・ミネラルの補給
 7.美容効果 : そばかす予防、ひび・あかぎれ予防


 現在、「食育」が進められている。
とても大切なことである。

 私は、「食」には「3つの満足」が求められていると考えている。
 1.空腹に対する体の満足
 2.美味しいと感じる心の満足
 3.

 この3番目は皆さんに考えてもらいたいと願っている。


2009年1月 7日 19:03


健康って?

 国連に世界保健機関、通称WHOという組織があり、そこで「健康の定義」が示されている。

 ここではその詳細はさて置いて、身近に考えてみたい。

 皆さんは、どんな時に「健康」と感じるだろう。
もしくは、どのような時を「健康」と考えるだろう。


 書店に足を運ぶと、健康に関する書籍を多く目にする。
昨年4月から「特定健康診査・特定保健指導」が導入されたこともあり、「健康づくり」に関する情報が増えている。

 ただ、一人一人の意識の中で、健康づくりに関する意識が向上しているのかと言えば、少し疑問も残る。
と言うのは、健康とは、決して肉体の状態だけではないからである。


 「健康」とは、「健体康心」の略語だという話を聞いたことがないだろうか。

 健康とは、「健やかな体」と「康(やすらか)な心」を表す。
言い換えると、肉体だけの健康、心だけの健康と言うものは存在しないと言える。


 ここで終わると、単なる語句の解説になってしまうので、もうひとつ皆さんに考えて欲しいことがある。

 「心が健康である」とは、どのような状態を指すのだろう、と言うことである。
自分の欲求が満たされていると、心は自然と穏やかである。これも勿論健康状態と言えるだろう。
でも、いつも満足の状態が続く訳はない。
すると、途端に「不健康の状態」に変化する。

 病気になった時、肉体は健康ではないが、心も健康ではないと言い切れるだろうか。
 障害を抱えている人、その肉体は健康ではない。しかし、その心はとても繊細で、傷つきやすいが、肉体的に健全な人以上に、素晴らしく豊かな心根を持った人がたくさんいることも事実である。

 心が健康であることと、肉体が健全であることは、別のように考えられる。


 自分の背負っている人生から逃げない心。
 他人の背負っている苦悩を受け止められる寛容性。

 答えは人によって様々かもしれないが、心身ともに健康な日々である一年であることを願って、今年の第一報としたい。


2009年1月 1日 00:00


お正月って?

 「健康わがママ」
 このサイトを開設して1か月が過ぎようとしています。
 愛媛県に住む人たち、否、皆さんの健康のために役立ちたいと、そんな思いで出発しました。


 初めてのお正月を迎えることもあり、「正月」について少し考えてみたいと思います。
 理由は、健康を考える良い機会であるからです。
行事があったり、飲み食いに明け暮れる日々が待っていたり・・・ とね。


 もともと「正月」は「神」をお祀りします。 所謂「お正月様」ですね。
 日本では、夏の「お盆」、正確には「盂蘭盆会」と言いますが、これは「仏」をお祀りします。
 この二つが大きな先祖供養の機会ともなっていて、日本の文化として根付いています。
見方を変えると、神仏入り乱れていると考える人も多いことでしょう。


 宗教の「宗」とは、「根本」を意味します。 「教」とは、字の通り「教え」です。 
 宗教とは、字の如く、「人が生きるために必要な根本とする教え」なのです。
 
 神とは・・・
 「神」の文字は、「示」と「申」から成り立っています。
 故に神とは、人に対し示し、物申す存在です。

 仏とは・・・
 「仏」の文字は、「人」と「私」から成り立っています。
 故に仏とは、人と私の関係を示しています。 
言い換えれば、あなたと私、みんなと私と言うことができるでしょう。

 見方を変えれば、仏を立てる宗教は事象の原因と結果を自身の中に求め、神を立てる宗教はその原因と結果を外の存在に求めるのだとも言えるのではないでしょうか。


 何を信じるか、それは個人の自由であり、また、信じる信じないも、個人の自由です。
 これは日本国憲法に保障されている「信教の自由」であり、これに異を唱える人はいないでしょう。


 ただ、心配なことがあります。
 新興宗教による詐欺や犯罪などがニュースに流れることです。

 現代は「信じる心」が分からなくなっているのではないでしょうか。
 人はこの世に生を受けてから、信じることなしに生きてはいけないし、信じて生きてきたはずです。
信じることで豊かな人生を歩むことができます。


 皆さんにとって、このお正月が有意義な日々であり、また、健康を考える良い機会になることを願っています。


2008年12月28日 19:23


お知らせ

 順次、掲載していきますので、ご期待ください。


2008年11月17日 16:19